令和3年11月14日快晴の事

1・昼間バナナ100%
我が館の冷蔵庫にバナナ1ダースの在庫ありでございます。



2・昼間筋肉トレーニング60%でございます。
昼間は、千葉県九十九里海岸通りも住み易いのでございます。

そこでダンベル10キログラムも、軽々と10回も上下左右に運動したのでございます。



3・朝入酸素運動60%は実行しました。
今日は、床材に寝て水泳運動を三十分間実践したのでございます。

今は我が肉体美に惚れ惚れする気分でございます。


糖尿病疾患者は、運動&食事制限&朝バナナでございます。


今月は、糖尿病疾患者の検索結果が発表されるのでございます



4・ライフコンサルタントの学習50%でございます。


また今月は、何処かの道の駅に車中泊&キャンプ⛺を実践する予定でございます。



6・南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。
我が先祖の再興&我が事業上昇気流に乗る事。



上杉家と云えば、足利将軍家の執事職を歴任した武家の名門の家筋でございます。


しかし主君筋の足利将軍家が衰退すると、足利家執事職上杉家も衰退したのでございます。



戦国期に突入すると、下の者が主君筋の家を乗っ取ると云う下剋上が流行したのでございます


そのきっかけは、諸国の守護職大名が京都に集まり西陣と東陣に分かれて合戦を繰り広げたのでございます。



西陣の総大将は、山陰地方を中心に8ヵ国の守護職を歴任している山名宗全が務めていました


一方東陣の総大将は、足利将軍家一門衆で管領家細川勝元でございます。


この合戦は、11年間も継続された結果誰しも勝者が存在しない不思議な合戦でございました


ところが守護職大名が京都で合戦を繰り広げている間は、地元の家を預かる守護代が政治を実行していたのでございます。



その結果守護代が力を蓄積する事により、本来的な国の総大将守護職大名が帰還しようとしても国から追い出し追放したのでございます。



そして上杉家の守護代は、長尾景虎と云う武家でございます。 



上杉家の総大将が帰還しようとすると、守護代長尾景虎が主君筋を追放してしまったのでございます。



そして長尾景虎は、上杉家の名跡を継ぎ受けて上杉謙信を名乗ったのでございます。



この上杉謙信の執事職が、戦国の戦場を愛の前建てを兜飾り💟にして合戦場を駆け回ったのでございます。


その武将が、直江兼続と云う武家でございます。



しかし直江兼続の政治判断の失敗😣によりて、関ヶ原の戦いで西軍に加担したのでございます



上杉家は、徳川家康から百ニ十万石から三十万石に減額されたのでございます。



ところが上杉家執政官の直江兼続は、家臣筋の数を百ニ十万石の数を維持してリストラを実行する事を行わなかったのでございます。



しかし江戸時代を通じて、上杉家は財政難が常態化してしまったのでございます。




我が決算書も、上杉家と同じように我が小遣いを1月1万円で遣り繰りしているのでございます。