各種選挙に行かない事

もう直ぐ衆議院議員の任期が満了時期を迎えようとしています。


オリンピックも無事に終了し、日本国の武士団も金!銀!銅メダルを数多取得しました。



菅内閣府の総大将も、オリンピックのメダル獲得総数の大さを手土産に選挙で一人勝ちして日本国内閣府の総大将に就任しようと企てていたのでございます。



ところが流行り病が猛威を振るい、日本国66カ国の大御宝である国民の反感を買い総選挙では過半数を割り込む事が筆致の状態でございます。



しかし私自身は、20歳になり選挙権を得て以降自慢話ではありませんが選挙に一度も行った記憶がございません。



その選挙権を行使しない事には理由がございます。



我が先祖からの宗派は、親鸞聖人が開かれた浄土真宗本願寺派でございます。



宗教団体では、あの織田上総介信長に真っ向勝負で対抗したのは浄土真宗本願寺派だけでございます。



浄土真宗本願寺派は、足利将軍家15代足利義昭や毛利氏や上杉氏などを糾合して織田上総介信長と合戦を繰り広げたのでございます。



この浄土真宗本願寺派の教えは、南無阿弥陀仏を唱える事と他力本願が主たる教えでございます。



我が先祖の宗派は、元々は天台宗でございました。



ところが江戸幕府が、各家🏠ごとに檀家制度を創設したのでございます。



詰まりは絶対的に、何処かの宗派に属する必要性があり無宗教は許されませんでした。



徳川家康は、三河国一向一揆と云う浄土真宗との合戦を経験者でございます。



徳川家康の家臣筋の武士団にも、一向一揆詰まりは浄土真宗門徒が数多存在したために主人筋の徳川家康の陣を離れて浄土真宗の陣に馳せ参じる武士が数多存在したのでございます。



徳川家康は、自分自身の経験を踏まえて浄土真宗を2つに分断して浄土真宗の勢力を弱めて行ったのでございます。



そこで江戸時代には、浄土真宗本願寺派大谷派の2つが存在し征夷大将軍に合戦を仕掛けるような元気も失せてしまったのでございます



そして我が先祖の主人筋の佐賀藩鍋島弾正家🏠では、浄土真宗本願寺派と懇意にしていたのでございます。


その鍋島弾正家🏠との関係性から、我が先祖も天台宗から浄土真宗本願寺派に宗派替えをしたのでございます。



また浄土真宗本願寺派の究極の教えは、南無阿弥陀仏を日々唱える事と他力本願でございます



そこで私自身も、浄土真宗本願寺派の教えを護り選挙に行く事も無く他人様が投票した選挙結果を受け入れる事で他力本願を実践しているのでございます。