暑くて暑くて死にそうな事

もう夏場に突入すると夏場ば嫌になり、冬場に突入すると冬場が嫌になる私でございます。



この間に占い師に占って貰ったら、何と精神年齢が24歳と云われたのでございます。



実年齢が65歳前後であり、実年齢と精神年齢の差が激しいのでございます。



あの占い師は、本来的には占い師で無いのではありませんか?



我が日本国には、国の役所に陰陽道を専門とする国家公務員が勤務していたのでございます。



この陰陽道の博士の役職を世襲した家に、あの陰陽師の映画で有名になった阿部清明が存在するのでございます。



阿部清明家は、占いや暦造りや人相や事柄の吉凶などに精通していたのでございます。



そして占い師が最も必要性&需要&就職先が引く手数多だった時代が、あの戦国時代でございます。



室町時代には、足利将軍家の出身地である足利の足利学校が占い師養成機関でございました。



戦国時代の合戦スタイルは、武力行使を実行する一番良い時期が何時かが最重要課題でございます。



日本全国の武士団が、我も我もと戦国武将として名乗りを挙げた時代でございます。



農民出身者も例外ではございません。



あの豊臣秀吉も、尾張国中村区の百姓と足軽大将を兼業した農民出身者でございます。



武士団の発生は、開発領主であり元々地主が自分自身の農地を保守する必要性から武装集団したのでございます。



我が先祖は、開発領主では無く生え抜きの中級貴族でございます。



中級貴族故に、京都には官職も無く九州太宰府の役人の役職に有り付けたのでございます。



しかし太宰府の少弐職や、太宰府の帥や大弐職などには就職出来るわけがございません。



そんな時に千載一遇のチャンス事が到来したのでございます。



其れが武家の棟梁各の源氏と平氏の合戦でございます。



我が先祖は、太宰府の役人の仕事は放棄して武家でも無いのに合戦に名乗りを挙げたのでございます。


一様は、太宰府では武官の仕事をしていたので少しは合戦スタイルも会得していました。



しかし本来的な武家ではございません。




源平合戦では、主な手柄話しも無く戦争修了後に鎌倉まで出向き源頼朝に対面したのでございます。



すると源頼朝は、我が先祖が気に入ったらしく九州肥前国佐賀の地頭職に指名したのでございます。



我が館に保管してある系図に書き記してあるのでございますが、何と我が先祖は九州肥前国佐賀では無く山城国を要求したのでございます。



後々には、戦国武将に成長した時に名刺の肩書欄に山城守と書いてありました。



しかし我が先祖は、一度も山城守に指名された事はございません。



全て嘘であり、本来的ならば肥前守と名刺に書いてあれば良かったのでした。



とにかく今日も今日も暑くてたまりません。




エアコン無しで、扇風機も25年前の旧式の物を使用しています。



だから全然冷たい風は吹いて来ないのでございます。



しかし明日からは、何と25℃の気温になると天気予報は予想しています。