令和3年11月20日の事

1・昼間筋肉トレーニング50%は実践した事。
100%は出来ませんでしたが50%は実践したのでございます。
0〜100思考パターンは嫌でございます。 


2・昼間入酸素運動40%は実践したのでございます。
冬場は寒いのでございます。
私自身は、鎌倉時代からの九州男児でございます。
九州地区は、夏場は温暖化気候であり冬場も温暖化気候でございます。
冬場は雪⛄は、全然降る事はごせん。




3・昼間学習0%でございます
昼間は、電動シャワーを浴びる為に裸一貫になり寒い寒いと云いながらシャワーを浴びたのでございます。



4・我が先祖の再興&我が事業上昇気流に乗る事。



5・南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。



武家の棟梁各は、源氏と平氏でございます。


関東地区の武士団は、基本的には平氏の系譜の武士団が数多存在するのでございます。



その中で伊勢国伊賀国に領地を頂き、移り住んだ平氏の一門衆が平清盛の一族でございます



伊勢国国司職を拝命した平氏は、馬🐎から海に活躍する場所を変更したのでございます。



その後平清盛の先祖を伊勢平氏と云うようになったのでございます。



そして平氏は、瀬戸内海に進出して海の海賊集団を平氏武力行使集団に組み入れたのでございます。



この瀬戸内海の海賊集団を駆使して、九州地区からの税収を奪い取り京都の貴族に税収が入る事がないような状況にしたのでございます。



平氏は、瀬戸内海に接する国の国司に任命されて自分自身が海賊集団の頭を隠して国司職を務めていたのでございます。



そして平清盛に至り、大政大臣従一位の最高の官職に進んだのでございます。



ところが源氏の総大将源頼朝相模国の鎌倉から平清盛に対して攻め込んだのでございます。



その総大将に弟の源義経を送り込んだのでございます。



源義経は、武家のエチケット違反が数多存在したのでございます。



その一つに船⛵の漕ぎ手である非戦闘員を源義経は、狙い撃ちしたのでございます。



平氏の軍勢は、船合戦が得意分野であり船の漕ぎ手を失ったら合戦する術がなかったのでございます。