令和3年12月1日昼間の出来事

1・昼間筋肉トレーニングは80%は実行しました。
今日は雨☔が降り、我が館は滝のような状態でございます。

そこで冬場は滝修業は寒いのでダンベル10キログラムを左右100回実行したのでございます。

そこで筋肉復興の為に煮干しを貪るように食べたのでございます。

やはりダンベル10キログラムの上下運動は辛かったです。



2・昼間入酸素運動80%は実行しました。

ダンベル10キログラム左右100回上下運動した為に今日は縄跳び運動を実行したのでございます。

縄跳び運動も思った以上に辛かったです。
縄跳び運動は30分間実行したのでございます。

今は疲れ果てて我が尖兵布団に横たわっているのでございます



3・昼間バナナ0%でございます。
とにかく我が冷蔵庫は、ビジネスホテル🏨に置いてある小さなサイズでございます。

そこで台湾バナナを数多買い込んで来る事は至難の業でございます。



4・昼間我が先祖供養のお経でございます。
昼間南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。
親鸞先生バンザイ🙌でございます。
親鸞先生は、南無阿弥陀仏と唱える事で現世利益が存在すると実感していたのでございます。

ところが現世利益を弟子や檀家たちが曲解して、働く事もせずに窃盗&強盗をする輩が続出してしまったのでございます。

そこで親鸞先生は、現世利益和讃を門外に出す事を禁止🚫してしまったのでございます。

そこで浄土真宗本願寺派門徒向けの聴聞に行くと坊主は現世利益和讃をひた隠すのでございます。




5・我が先祖の再興&復興の事
我が事業上昇気流に乗る事間違い無しの事。




鎌倉幕府御家人の中心は、関東地区の武士階級でございます



そして源氏系統の氏の長者源頼朝の妻北条政子の実家は伊豆国の小豪族にすぎなかったのでございます。



その伊豆国の小豪族の身分でありながら、源氏系統の正統源頼朝の舅に収まったのでございます。


しかし北条政子の父親北条時政は、関東地区の豪族たちからは信用があり相談窓口となっていたのでございます。



そして北条時政は、娘北条政子源頼朝と駈落ちしたので平家を裏切り源頼朝に味方する覚悟を固めたのでございます。


しかし北条時政の軍勢は、せいぜい百騎程度でございます。


平家一門衆は、伊豆国守護職代理人山木判官に命令して北条時政の軍勢を攻め立てたのでございます。



しかし北条時政は、小船で上総国に逃げ込んだのでございます


その後には上総国を皮切りに関東地区を一周すると、関東地区の武士団は源頼朝の陣営に我も我もと集まって来たのでございます。


そして源氏系統と平家系統の合戦が勃発したのでございます。



最終的には源義経の活躍によりて、長門国壇ノ浦の戦いで平家一門衆を海に沈めたのでございます。



北条時政の軍勢も、壇ノ浦の戦いに参加していました。


北条時政は、元々は平清盛と同じ坂東平氏であり平家一門衆でございます。


また北条時政は、平清盛の家臣筋であり流人生活の源頼朝の監視員として畏まって平家に奉職していました。



そこで北条時政は、家臣筋に命令して平家一門衆の公達を救助する使命を与えていたのでございます。


そして北条時政の軍勢の一人が平清盛の孫で平資盛の子供を保護する事に成功したのでございます。


北条時政は、平清盛の孫資盛の子供を源頼朝に気付かれないように育て上げたのでございます


ところが鎌倉将軍職源頼朝が死に、2代目&3代目の源氏将軍が終了したのでございます。



そこで北条家は、平資盛の系統を世の中に披露したのでございます。



そして平の姓に復帰させて、執権職北条家の執事職(身内人)として優遇したのでございます


あの執権職北条高時の政治的代理人長崎円喜一門衆は平資盛の子孫でございました。



この北条家の身内人は、元々主家筋と云う事で、北条家の代理人として悪政治を敷いたのでございます。



鎌倉幕府の最後には、日本国66カ国の内で長崎氏の国は半数の33カ国に増加していたのでございます。



長崎氏は、肥前国長崎地区の地頭職を最初に指名された為に地名を名乗ったのでございます。