源判官義経と目付役梶原景時が喧嘩する事

平家一門衆の人々は、何方かと云うと船合戦を得意分野としていたのでございます。



一方源氏方の武士たちは、馬🐎に跨り使いこなした陸上での合戦を得意分野としていたのでございます。



しかし平家一門衆は、四国地区の屋島を本拠地に各地で活動していたのでございます。



そこで現在の摂津国大阪府)を縄張りにしていた船地主の棟梁に船の調達を依頼したのでございます。



そこで相模国の出身で海の合戦に多少は慣れている梶原景時が源判官義経に提案書を提出したのでございます。



船の後と前に、漕ぐ櫓を取付て方向転換が遣りやすいように改造する事を提案したのでございます。



すると大将源判官義経は、梶原景時に云ったのでございます。



武士と云う者は、前に居る敵将軍に突っ込む事こそ武士道の本分であるぞ。



しかし時の情勢によっては、一心不乱に逃げ出す必要性もあるぞ。


ところが最初から逃げ出す用意をする事は源判官義経は納得出来無いぞよ。



我が船には、前後に漕ぎ出す櫓を取付ける必要性はない。



梶原景時の船には、前後左右に漕ぎ出す櫓を取付けるが良いぞと云ったのでございます。



梶原景時は、総大将源判官義経に聴こえように云ったのでございます。



この殿様は、家臣筋の我々の気持ちを察する事は出来無い人である。



我が主君筋は、鎌倉に居る源頼朝様だけであると云ったのでございます。