梅雨も後半戦に突入しました。
梅雨時期の後半戦は、毎年恒例行事のように大雨☔が降ります。
そして我が屋敷は、いたる所から雨が漏れ出すのでごさいます。
また雨と同時にムカデ殿が、何匹も我が屋敷に入り込んで来るのでごさいます。
以前ならば、ムカデ殿が毘沙門天の化身と云う事を知らなかったのでハサミで八つ裂きにしていました。
しかし現在は、ムカデ殿を八つ裂きにするのでは無く二つに切り刻み念仏を3回唱えて供養をするのでございます。
我が先祖は、鎌倉時代以前は比叡山延暦寺の天台宗の檀家でございます。
其れが主人筋の鍋島弾正忠が、浄土真宗本願寺派の法主と仲が良かったために江戸幕府が全国民に対して寺の檀家になるような規則をこしらえたのでございます。
あの島原の乱の教訓により、全国民は日本国の仏教宗派に所属先を選定する必要性があった。
そこで主人筋の鍋島弾正忠の支持により、浄土真宗本願寺派の門徒に所属したのでございます。
だから我が先祖は、天台宗から浄土真宗本願寺派に宗派替えを行う事になりました。
其れ以降は、我が屋敷には南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏の念仏が聞こえるのでございます。
そこで東京都築地に存在する、築地本願寺東京別院に行きお経をあけて貰います。
また時には京都に存在する浄土真宗本願寺派に行く事にしています。
余り知識ゼロだった頃には、京都の浄土真宗本願寺派では無く東の大谷派の寺に行っていました。
江戸幕府は、浄土真宗の力を弱くするために浄土真宗を本願寺派と大谷派に分裂させたのでございます。
あの織田上総介信長を苦しめた、大阪本願寺が現在の浄土真宗本願寺派と大谷派の母体でございます。
織田上総介信長の家臣筋の中にも、数多浄土真宗の門徒が存在したのでございます。
そこで武士たちは、浄土真宗の門徒たちと合戦する事に消極的であリました。
しかし主人筋の織田上総介信長は、元々越前国の守護職斯波氏の代官筋の家柄であリました。
斯波氏と云えば、足利家一門衆であり武家は皆々様が禅宗寺院の門徒でございます。
そこで主人筋斯波氏に従い、織田上総介信長の先祖も当然の事禅宗寺院に所属していたのでございます。
だから織田上総介信長は、自身の家と宗派が違う浄土真宗の門徒と合戦する事に対して抵抗感は皆無でございました。
そして私が推薦したい温泉♨地は、岐阜県下呂市に存在する下呂温泉でございます。
其れも川沿いに存在する24時間営業で、露天風呂付きで混浴の温泉でございます。
昼間は、橋の上から観光客に裸を見られるのでございます。
しかし夜が更けると、何処からともなく若い女子と一緒に露天風呂に入る事が出来ます。
私自身も、下呂温泉に24時間入っていました
でも現在は、そのような元気も大胆不敵な行動は出来ません。
下呂温泉は、露天風呂ではございますが熊に襲われる心配はございません。
やはり露天風呂では、熊に襲われる事が一番の心配事でございます。
露天風呂で熊に襲われると、裸一貫で逃げ出す必要性がございます。
服やパンツなどを履く時間はございません。
とにかく一心不乱に街中目掛けて逃げ出す必要性がございます。
恥も外聞も捨て去り、一心不乱に街中目掛けて逃げ出しましょう。