今年も梅雨明けの兆しでございます。
梅雨が明けると、猛暑日が数多存在して暑さの余りムカデ殿が現われ無くならないか心配している所でございます。
あのグロテスクな身体に強烈な毒虫であり、本来的には武士の家庭に育ちながらもムカデ殿が怖くて怖くて仕方がありませぬ。
しかし毘沙門天の化身のムカデ殿が現れる事により、我が先祖の運気アップの兆しを思うとムカデ殿が現れなくなるのが寂しいのでございます
梅雨明けの次に恐ろしいのが、我が国の台風でございます。
吹けば飛ぶような屋敷である我が屋では、大風でも吹けば倒壊の憂き目に遭う事は筆致でございます。
何年か前の台風では、余りの雨風の強さにムカデ殿が耐えきれずに4匹ものムカデ殿が家屋内に入り込んでいました。
私自身は武家出身ではございますが、やはりムカデ殿に遭遇すると怖くて漏らしてしまいます
あの猛将三河武士の徳川家康も、甲斐国の守護職大名武田信玄が京都に上洛する途中に徳川家康の本拠地浜松城近くを素通りしていました。
徳川家康は、自分自身の領地を素通りされた事に腹を立て家臣筋が静止するのを拒み武田信玄に合戦を仕掛けたのでございます。
武田信玄は、日本国の中の武将では大の合戦上手でございます。
幾ら三河武士が勇猛果敢な武者と云っても、三河地方は災害も少なく穏やかな地域でございます。
一方甲斐国は、地形も険しく雪も降り河川も暴れる厳しい地域でございます。
また武田信玄の先祖は、元々は常陸国の住人でしたが悪行が多く甲斐国に流罪の罪で流された一族でございます。
ところが荒くれ者の武田家でございます。
たちまちに甲斐国の武士団を家臣筋に組み入れて、自ら甲斐国の大将各に収まった程の武将でございます。
この武勇に優れた武田一族でございます。
幾ら三河武士団が勇猛果敢な武者であっても、武田一族は一枚も二枚もうわてでございました
徳川家康は、武田信玄との合戦で余りの恐ろしさに馬上でおしっこを漏らしたのでございます
あの天下人徳川家康も、おしっこを漏らす事があるのでございます。
この5石取りの武士の子孫の私が、ムカデ殿と遭遇した事によりおしっこを漏らしたのは恥ずかしい事ではございません。
以上でございます。