はてなブログのお題目が、最近しばいていますかでございます
最近しばいていますかの意味合いが良く理解出来ませんが、最近しばいていませんです。
新聞配達員として勤務していた時には、新聞業界用語としてお客様をしばいて来いとか、洗剤等を角材とか羽交い締めにして来いなどの業界用語集がございました。
私自身も、今日は何人しばいて来ましたとか角材で殴何人殴って来ましたとか云っていました
此れらは何人に洗剤等を配る事が出来たかとか、何人のお客様に対して契約更新🆙が出来たかとかの意味合いでございます。
私自身は、武家出身でございます。
明治維新になり、武家出身者から商人に就任した人々は全員全滅したのでございます。
いゃ土佐藩の岩崎弥太郎は、三菱商事を創設して事業を大きく発展させたのでございます。
岩崎弥太郎は、土佐藩の武士階級と云っても農業兼商人兼副業武士階級でございます。
しかし我が先祖は、5石取りの石高とは云えれっきとした佐賀鍋島藩の槍磨き担当の足軽大将でございます。
我が先祖は、足軽大将一本であり館の庭先で小さく野菜や柿を栽培していたれっきとした侍階級でございます。
我が先祖は、明治維新になり農業者として武士本来的な開拓農民階級に就任したのでございます。
そこで我が先祖は、農業従事者でありれっきとした地主階級でございます。
しかし我が先祖は、鎌倉幕府から肥前国の佐賀の地頭職に指名された家柄でございます。
鎌倉時代や室町時代には、泣く子供と地頭職には敵わないと云う諺が存在するのでございます
地頭職の上には、守護職大名しかございません。
戦国時代の有力者の大半は、国人と云う元々は地頭職クラスの人々でございます。
その他の戦国武将は、野盗や窃盗団やならず者や街のあんちゃん連中でございます。
守護職大名クラスの人は、甲斐国の武田信玄や薩摩国の島津家位でございます。
あの織田上総介信長も、守護職大名の足利一門衆の斯波家の守護代クラスでございます。
そして徳川家康は、三河国の加茂神社の領地の管理人クラスであり食べれないために堺市に出て金融業者として儲けていたのでございます。
また豊臣秀吉に至っては、父親は農民兼足軽クラスの武士階級でございます。