源頼朝と13人の仲間たちに関する本を立ち読みしました。
やはり平氏系統を京都から追い出した第1の功労者源木曽患者義仲も13人の中にランクインしていたのでございます。
源木曽患者義仲は、木曽地域の山の中で近隣の武士団をかき集めたのでございます。
ところが父親源義賢と云う人物は、関東地区の大大名秩父家の婿養子に入っていたのでございます。
何故か源義賢は、婿養子ではありましたが近隣の武士団に人望があったのでございます。
しかしながら甥で同じ関東地区の大大名相模國の三浦介家に婿養子に入っていた源悪源太義平の夜討ちで討死したのでございます。
しかしながら源木曽患者義仲の平家打倒の旗揚げを聴いた秩父地区の武士団が、あの故源義賢の息子さんと知り馳せ参じたのでございます。
源木曽患者義仲は、大いに喜んだのでございます。
軍勢も2万騎馬まで増加していたのでございます。
そこで源木曽患者義仲は、京都にいきなり攻め込むのでは無く加賀國や能登國に居た大大名城氏を攻め立てたのでございます
この城氏は、平氏系統であり血筋も良く秋田城職を拝命していた名門でございます。
そして源木曽患者義仲が、加賀國に向かう途中で神社の社で休息したのでございます。
すると源木曽患者義仲の上を鳩二輪が、ひらひらと飛び廻ったのでございます。
そして神社の社を良く観ると何と八幡神社でございました。
源木曽患者義仲の先祖は、超人的な武人として怖れられた源八幡太郎義家でございます。
源八幡太郎義家は、父親源陸奥守兼務鎮守府将軍職を拝命し反乱軍阿部一族を13年の合戦で討伐した将軍でございます。
また八幡神社の使者は、鳩でございます。
八幡神社に行くと、八幡の八の字は鳩二輪が向かい合っているのでございます。
この八幡神社の託宣によりて源木曽患者義仲の軍勢は勢い付いたのでございます。
そして加賀國と能登國の大勝利でございます。
また北陸地域で大勢力の白山神社も味方に付ける事に成功したのでございます。
武家だけでは無く宗教勢力が、源木曽患者義仲に味方に付いた事は大きかったのでございます