昨日帰宅したらムカデがいたのでございます。
ムカデが出没しない日々が続いていたので、運気が下降気流に乗ったのではないかと心配しました。
しかしムカデが出没すると怖くなり、やはりハサミで八つ裂きにしてしまったのでございます。
だから殺傷した場合には、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と3回唱える事が重要でございますと坊主が言っていました。
そこで私自身も、浄土真宗本願寺派門徒として毘沙門天の化身ムカデが出没したならば八つ裂きにして南無阿弥陀仏と唱える事にしたのでございます。
やはりムカデが家🏠に居ると、蚊帳で寝ているとしても恐ろしくて恐ろしくて仕方がないのでございます。
ムカデが出没したと云う事は、今後は運気が上昇気流に乗って日本国の大富豪になる可能性がございます。
しかし我が先祖の家系は、鎌倉幕府や室町幕府の間は肥前国の地頭職クラスの武士でございます。
また江戸時代には、我が先祖の惣領家は武家の死に様としては服毒自殺であり切腹して果てたわけでもございませぬ。
我が家も、仇討ちの相手先である鍋島弾正忠家の家臣筋に収まり五石取りの少ない足軽大将でございます。
あの森鴎外の小説で披露されている熊本藩で起きた、阿部一族の謀反のように熊本藩五十万石に対して阿部一族五十騎で合戦を仕掛けるなどの抵抗をするべきでございました。
江戸幕府の最後の時期に、高鍋藩の国家老職が他の家老職に暗殺された事件が勃発しました。
そこで高鍋藩藩主は、仇討ち状を発布して国家老職の息子に仇討ちを果たして来るようにと命令したのでございます。
ところが明治時代に突入して、仇討ち状が廃止になり仇討ち事態が廃止されてしまったのでございます。
しかし臼井六郎と云う息子は、仇を東京で見つけ出す事が出来ました。
その仇討ちの相手は、何と裁判所判事の職を得ていたのでございます。
しかし全国の元武士出身者が応援団となり、臼井六郎の仇討ちを助けたのでございます。
そして臼井六郎は、仇討ちに成功しました。
臼井六郎の裁判が始まると、元武士の応援団が全国各地から集合しました。
そして農民出身である臼井六郎の担当裁判官は何と死刑判決を求刑したのでございます。
臼井六郎は、吉良上野介から虐め抜かれて切腹に追い込まれた浅野長則の藩邸跡で切腹したい旨の申し立てをしたのでございます。
この申し立てを武士出身の裁判官が認めてくれたので、臼井六郎は赤穂義士と同じように浅野長則の屋敷跡で武士らしく切腹したのでございます。
其れに比較して我が先祖は、仇討ちの鍋島弾正家の家臣筋として五石取りの武士として生きて来た事が情け無いのでございます。