令和3年11月13日今日は疲れて寝ている事

1・朝バナナ10%達成する事
昨日は千葉県千葉市に行った帰りに、激安スーパーでバナナを買い込んで来たのでございます


2・朝筋肉トレーニング20%昨日帰還したのが夜中2時でございます。

2時と云えば、丑三つ時でございます。


丑三つ時と云うと、幽霊が夜な夜な出没する時間帯でございます。


3・朝入酸素運動10%
やはり筋肉トレーニングと同じく、疲れ過ぎて実践する事が出来無かったのでございます。



4・朝学習0%でございます。

今は我が館に存在している尖兵布団の中で寝込んでいるのでございます。



5・朝南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃です。

あの織田上総介信長に対して石山本願寺派の門徒たちは、南無阿弥陀仏を暗唱しながら武将に近ずいて行くのでございます。


勇猛な武将も、南無阿弥陀仏を暗唱する門徒に対しては斬り殺す事が出来無かったのでございます。



江戸幕府の末期に起きた事件でございます。



薩摩藩大名行列が、江戸から薩摩国に帰還していた時の出来無でございます。



現在の神奈川県の生麦村を通過していた時の出来無です。


薩摩藩大名行列に向かって外国人が馬🐎に乗りながら近ずいて来たのでございます。



薩摩藩の武士は、殿様の行列であるので下馬して畏まるようにと要求した。


しかし外国人には、日本国の風俗が理解出来なかったのでございます。


薩摩藩の武士は、何とイギリス人を真っ二つに斬り殺したのでございます。



そして薩摩藩大名行列は、何もなかったように行列を継続したのでございます。



ところが斬り殺されたイギリス人は、外交官でございました。




イギリス国は、世界的に一番に強い海軍力を保持していたのでございます。



イギリス海軍は、何と薩摩藩を撃ち滅ぼす為に鹿児島湾に攻撃して来ました。


薩摩藩が勇猛な武将が数多存在する藩とは云え、イギリス国の海軍が攻め込んで来たのでございます。



ところがイギリス海軍は、何度攻め込んでも薩摩藩を滅ぼす事が出来なかったのでございます



その理由は、薩摩藩の武士は刀だけでイギリス海軍の大砲に向かって行くのでございます。


そして大砲で死んでいるにも関わらず、イギリス軍を一人斬り殺して死んで行くのでございます。



この薩摩藩の戦法には、イギリス海軍も恐怖心を抱いたのでございます。



イギリス軍は云ったのでございます。



薩摩藩は、日本国の一つの藩に過ぎ無いでは無いのか?



このような武士団が、日本国には300藩も存在するでは無いのか?



こんな武士団と合戦したら、イギリス海軍の被害も甚大と云ったのでございます。



そこでイギリス国は、江戸幕府に対して薩摩藩との仲介を依頼したのでございます。



薩摩藩は、上から目線によりて和解案を受け入れたのでございます。