令和3年11月12日晴れ我が身が疲れ果てた事

1・昼間筋肉トレーニング80%実践する。
その理由は、何と千葉市蘇我から千葉市の千葉県庁まで歩き続けたのでございます。距離は大復20キロメートルでございます。疲れ果てました。



2昼間入酸素運動100%は実行していると考えます。

理由は、20キロメートル歩く事は、強烈な入酸素運動でございます。



3・昼間脳トレニング20%はクリアーしていると考えているのでございます。

運動事態が、脳トレニングとYou Tubeから聴いたのでございます



4・休息は0%でございます。

理由は、我が館の壁塗りが少し残っていたのでございます。

そこでホームセンターで塗料を買い込んだ為にスーパー銭湯は御預けでございます。


スーパー銭湯の料金は、何と850円です。


我が館に帰還して、ホームセンターで手作りした電動シャワーで身体をほぐしたいと考えるのでございます。



あの関ヶ原の戦いで、立花宗茂豊臣秀吉の恩義が存在すると云って徳川家康方では無く石田三成方に加担したのでございます。



立花宗茂は、本来的には徳川家康と仲は良く当然の事徳川家康方の陣営に加担すると誰もが思っていたのでございます。



しかし関ヶ原の戦いでは、石田三成方の惨敗に終わったのでございます。



あの宮本武蔵も、何と西軍方の足軽大将として参陣していたのでございます。



立花宗茂は、九州地区の柳川領地を没収されて京都&江戸で浪人生活を送ったのでございます


しかし立花宗茂の家臣筋は、加藤清正福島正則などの武闘派武将が皆家臣筋に召抱えたのでございます。



加藤清正も、福島正則なども朝鮮半島に攻め込んだ時のピンチを何と立花宗茂が助けていたのでございます。




そして江戸幕府は、立花宗茂を元々の領地である柳川18万石の大名に指名したのでございます。



すると18年間のブランクが有るにもかかわらず、元々の家臣筋が我も我もと柳川に帰還したのでございます。



立花宗茂が大好きです。


また後醍醐天皇に忠義な心で奉職した楠兵衛尉正成も大大大好きでございます。



7・南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。でございます。