令和4年3月22日の出来事💋❤💋

朝筋トレは6割方達成でございます。

朝入酸素は休みでございます。

理由は雪模様だからでございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞聖人バンザイ🙌でございます。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

法然聖人バンザイ🙌でございます。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。

鎌倉幕府の筆頭御家人であり、源氏の氏の長者である足利治部太夫尊氏は畿内での反乱を鎮める為に総大将として派遣されたのでございます。

時の執権職北条高時は、政治に興味が無く専ら北条家執事職長崎氏に丸投げしていたのでございます。

長崎氏は、先祖は平資盛と云う平清盛の孫でございます。

平資盛の隠し子を、北条時政と息子北条義時が主君筋源頼朝に内緒で育て上げたのでございます

しかし源頼朝は亡くなり、息子の源氏将軍職も三代で消滅したのでございます。

北条時政と息子北条義時は、平資盛の子息を公やけに育てる事が出来たのでございます。

北条家も、先祖は桓武平氏の一門衆でございます。

平資盛の子息を執事職に据えた事は当選の成り行きでございます。

時代は流れ平資盛の子息が、長崎氏を名乗ったのでございます

しかし畿内地区の反乱軍を鎮める総大将に源氏の氏の長者足利治部太夫尊氏を選抜した事は失敗したのでございます。

足利治部太夫尊氏は、総大将の権限かならより従う武者の選抜を皆源氏系統の人で固めたのでございます。

だからこそ足利治部太夫尊氏が三河國の吉良家や今川家や一色家などが数多存在する三河國で本心を述べ披露したのでございます。

そして足利治部太夫尊氏は、引き連れていた武者に向かって大演説を咬ませたのでございます

その後は、足利治部太夫尊氏は合戦に継ぐ合戦に明け暮れたのでございます。

そして諸国一見の僧侶が、足利治部太夫尊氏に尋ねたのでございます。

武家の棟梁とは、どのような心持ちが必要だと尋ねたのでございます。

足利治部太夫尊氏は、直ぐ様に回答したのでございます。

武家の棟梁の心持ちは、大工の棟梁と同じ心持ちでございます。 

大工の棟梁は、職人たちを数多使用して建築物を造るのでございます。

大工の棟梁の的確な指示無しでは建築物を建てる事が出来ないのでございます。

武家の棟梁も、諸国の武家を束ねながら指示を的確に出す事が出来ないならば合戦に勝利する事が出来ないのでございます。

足利治部太夫尊氏は、何と死ぬ直前まで合戦に次ぐ合戦の人生でございます。

足利治部太夫尊氏は、室町幕府征夷大将軍職を拝命したにも関わらず自ら合戦の総大将として陣を敷く必要性があったのでございます。

私自身も、合戦に打ち勝つ為に我が館に陣を敷いたのでございます。

そして好きな女子に告白するのでございます。

その告白する女子が、我が正室に収まる姫君でございます。

しかし告白する女子に振られた暁には、1から女子をゲットする旅路が始まるのでございます

私自身も、我が正室をゲットする事と我が事業の成功を実現する事の2つを同時並行に実行する必要性が存在するのでございます。

新妻&正室が欲しいです。

そして渋谷&新宿に行きブラブラ歩き回りたいのでございます