余りにも貴族や皇族が数多存在するようになり、官職の空席状況が無くなってしまったのでございます。
しかしながら公卿側も、一様は公卿詮議【会議】を行い工夫の努力はしたのでございます。
大体に大納言職の数は5人でございます。
そこで大納言職の次のクラスの官職として、権大納言職を創設したのでございます。
因みに中納言も少納言も、権中納言や権少納言職を創設して官職の数を増やす工夫は行ったのでございます。
あの公卿集団の職務内容は、和歌や公文書作成や占い🔯や暦造りなど全て頭を捻り出すのが職務執行でございます。
だから武家貴族の源氏や平氏とは違い、頭の良い事では誰にも負け無いのでございます。
その公卿集団が知恵を絞り出しても、官職の数を増やす事には限界が存在したのでございます
そこで皇族には、姓を与えて臣下に下り地方自治体の官職を与えるのでございます。
また文官に空席状況が無ければ近衛府の衛門や兵衛や衛府の侍職に指名するのでございます。
其れでも不足する時には、有力寺院や神社に稚児として入るのでございます。
その公卿や皇族の息子さんが、寺院や神社に稚児として入る時にはお付きの家来筋も嫌々寺や神社に入るのでございます。
公卿や皇族の息子さんは、偉いお坊さんや神職に就くのでございます。
しかし無理無理に付き合わされた家来筋は、下働きの坊主になるのでございます。
大きな神社や寺院には、諸国に領地が数多存在する為に事務を扱う僧侶が必要になってくるのでございます。
しかし時が過ぎるに従い、上級職の僧侶階級と下級の僧侶階級間で合戦が勃発したりするのでございます。
此れも乱世か末法思想の現れだと考えていたのでございます。