令和4年2月16日の事【1】

ある時に豊臣秀吉は、諸国の大名や小名を集めて茶会を催したのでございます。

豊臣秀吉は諸国の大名に対して問いかけたのでございます。

この豊臣秀吉の次に、天下を掌握する事が出来る人物は誰かと問うたのでございます。

ある武士は、徳川三河守家康と云ったのでございます。

またある武士は、上杉越後守景勝でございますと云うのでございます。

ほとんどの大名たちは、能力的な面を評価して答えるのでは無く石高の高い大大名の名前を並べ立てたのでございます。

しかし豊臣秀吉は云ったのでございます。

皆が名前を挙げた人物は、次に天下を取る事は難しい。

一番に天下人に近いのは、我が豊臣秀吉の軍師黒田官兵衛であるぞと云ったのでございます。

黒田官兵衛の策は、毎回我が秀吉が考え出した方策と一致する

しかしながら我が考え出した方策は、頭を何日も考えた後の策である。

ところが黒田官兵衛は、我と一致する策を一瞬に考え付くのである。

この黒田官兵衛が、天下を我が物にする事は簡単であると云ったのでございます。

この豊臣秀吉の本心を知った黒田官兵衛は、直ぐに九州地区中津藩25万の家督を嫡男黒田長政に譲り自分自身は出家してしまったのでございます。

豊臣秀吉は、天下統一までは黒田官兵衛の能力を利用したのでございます。

しかしながら本心では、黒田官兵衛の能力に対して警戒していたのでございます。

そこで黒田官兵衛は、豊臣秀吉の考えを読み取り直ぐに政治から身を引いたのでございます。

しかし豊臣秀吉は、一層の事黒田官兵衛の能力の怖さを自覚していたのでございます。