令和3年11月10日快晴の事

1・南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。親鸞先生。
因みに氏神様は、右大臣菅原道真公を奉る天満宮八幡神社でございます。

我が先祖は、藤原秀郷従4位下の地位を拝命した武官貴族でございます。

一様は系図上では、藤氏でございます。

一方我が先祖の主君鍋島弾正忠家は、近江国守護職佐々木氏を先祖にしている氏族でございます。一様は系図上でございます。



2・昼間筋肉トレーニング50%実践力強化する。
昼間は、気温上昇気流に乗り筋肉トレーニング体操も捗るのでございます。



3・昼間入酸素運動80%は実践実践したのでございます。

昼間は縄跳び&昇降運動&床上水泳運動を二時間実践したのでございます。



4・我が先祖返り咲きの呪詛を実践する事。
やはり運勢気流を上昇気流に乗せる必要性に気付き神仏に上昇気流に乗り事を祈り偲びます。



5・やはり経済的に上昇気流に乗り、我が事業を上昇気流に乗せる必要性は大でございます。



6・ライフコンサルタントの能力値を上昇気流に乗せる為に自分自身に投資する事。

何を実践するかと云うと、漫画のサザエさんちびまる子ちゃん大河ドラマを観る事。



7・夜睡眠時間確保する為に夜6時に就寝する事。



あの豊臣秀吉の子供でございます豊臣秀頼の為に、近江国佐和山城15万石の中堅石田三成が二百5十万石の徳川家康との合戦の快挙に出たのでございます



しかし石田三成は、各地の諸大名に人望が無く大名たちは徳川家康方に加担したのでございます。



その石田三成徳川家康の合戦が、あの関ヶ原の戦いでございます。



石田三成に味方した西国の武将も、石田三成方が負け組と判断して徳川家康方に寝返ったのでございます。



しかし敦賀城主や立花宗茂島津義弘などは、最後まで石田三成方として合戦したのでございます。



因みに我が先祖の主君筋鍋島弾正忠家は、早々と徳川家康方に寝返った事はゆうまでもございません。


鍋島弾正忠家は、能力は優れて豊臣秀吉徳川家康も能力を認めた優秀な武将でございます。



そこで石田三成が負け組になる事が解り次第素早く徳川家康方に味方したのでございます。



私自身は、我が先祖の事を恥だと思うのでございます。



主君筋鍋島弾正忠家に対して諫言して、聞き入れなかった時には浪人生活者になる覚悟で石田三成方の武将として討死して貰いたかったです。



私自身は、穴があったならば恥ずかしいので穴に入り込みたいです。