令和3年11月25日の事

1・昼間入酸素運動80%は達成しました事。



2・昼間筋肉トレーニング80%は達成でございます。



3・昼間バナナ100%は達成でございます。



4・昼間学習0%は達成しました。
今日は車中泊&キャンプ⛺を実行する為に学習教材研究は持ち合わせてないのでございます。

そして埼玉県行田市忍城当たりで寝たら風邪気味になりました



5・昼間念仏宗南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。
親鸞先生バンザイ🙌。



5・我が先祖の再興&復興の事
我が事業上昇気流に乗る事。



豊臣秀吉は、加藤清正福島正則山内一豊などの豊臣家譜代大名を招集して雑談をしていたのでございます。



その中には、豊臣秀吉の軍事黒田官兵衛も混ざっていたのでございます。



加藤清正は、関東地区を纏め挙げている徳川家康殿が総大将の器量があると云ったのでございます。



またある者は、上杉景勝殿でございますと云うのでございます


そしてまたある者は、前田加賀守利家殿たと主張したのでございます。



すると豊臣秀吉が口👄を開いたのでございます。



秀吉が考えでは、黒田官兵衛豊臣秀吉が亡くなれば天下人に成ると主張したのでございます。



そして諸大夫は、豊臣秀吉に向かって云ったのでございます。



黒田官兵衛殿が、知恵才覚に優れているとしても領地は九州地区は豊前国の15万石の小大名でございますと云った。



すると豊臣秀吉は云うのでございます。



我が知恵を絞りに絞った考えと黒田官兵衛の考え方は必ず一致するぞ。



ところが黒田官兵衛は、我が知恵を絞りに絞って考えた知恵を一瞬で我に進言するぞと云った


この豊臣秀吉が、武家の棟梁各に就任出来た事は全部黒田官兵衛の進言通りに実行して来たと云ったのでございます。



この豊臣秀吉の気持ちを察知した黒田官兵衛は、領地も官職も全て息子の黒田長政に譲ったのでございます。




そして黒田官兵衛は、九州地区の分後国に引き篭もり出家して黒田如水となったのでございます。




豊臣秀吉は、最初から黒田官兵衛を軍師として待遇すると同時に警戒心を燃やしていたのでございます。



黒田官兵衛恐ろしやでございます。



我が先祖の惣領家に、黒田官兵衛程の知恵才覚が備わっていたならば我が先祖も足軽大将5万取りの武者ではなかったのでございます。