令和4年2月9日の事【2】

やはり私自身は、静香御前を恋慕うのでございます。

源九朗判官義経は、兄源頼朝の命令によりて埼玉県川越市近辺を領地とする川越氏の娘を妻にしたのでございます。

源頼朝としては、律儀者で名を知られていた川越氏の娘に妻となり源九朗判官義経を監視させたのでございます。

ところが川越氏の娘は、真に関東武者の娘らしいだけでは無く美しい女子でございました。

しかしながら源九朗判官義経の心の中には白拍子静香御前しか眼中になかったのでございます

また川越氏の娘も、本来的には源九朗判官義経の監視員の立場で妻に入ったのでございます。

しかしながら一夫多妻制の時に白拍子静香御前の心を知るうちに源九朗判官義経を慕う気持ちが芽生えたのでございます。

源九朗判官義経は、幸せ者でございます。

東武者の中でも、川越氏の娘は第1か2を争うような美人でございます。

また静香御前も、京都では引く手数多の人気者の白拍子でございます。

源九朗判官義経が、鎌倉幕府御家人になれず奥州平泉の地で討死したとしても幸せ者でございます。

私自身も、二人の女子から慕わてみたい思いでございます。

しかし弁慶などの源九朗判官義経の家臣筋は、義経に心に感動して家臣筋となった人物でございます。

源九朗判官義経は、弁慶など家臣筋に与える領地も存在しないのでございます。

鎌倉時代にも室町時代にも、物質的な御恩に対して奉公する事で武家社会は成り立っていたのでございます。

しかしながら弁慶などは、源九朗判官義経個人を信じて家臣筋になっていたのでございます。

其れは静香御前も同様でございます。

私自身も、欲得無しで慕われる妻を娶りたいものでございます

その結果我が家の復興&再興を獲得したいものでございます。