令和4年1月12日の事【2】

源頼朝と13人の仲間たちは面白いですの?

北条家は、伊豆國の地主では小さな豪族でございます。

伊豆國の大地主は、狩野家でございます。

あの曽我兄弟の仇討ちも、狩野のの分家筋でございます。

また曽我兄弟が、仇として付け狙った工藤氏も同じ狩野家の分家であり一族でございます。

この仇討ち話も、領地争いであり相続問題が発端でございます

一方で北条氏がかき集められる軍勢は、大くて百騎馬程度でございます。

北条家とは、其れ程度の武士階級でございます。

そこで源頼朝は、狩野家の分家で有力者の伊東氏の娘と懇ろになったのでございます。

ところが伊東氏は、平氏を恐れた為に源頼朝と娘との仲を引き裂いてしまったのでございます

しかし北条家では、覚悟を決めて、源頼朝を保護したのでございます。

源頼朝は、平氏政権に対して謀反を企てたのでございます。

ところが反平氏政権に対して合戦を挑んだ軍勢は、北条家の百騎馬程度でございました。

源頼朝の軍勢は、散々に打ち負かされて房総半島に逃げ込んだのでございます。

源頼朝の軍勢で、房総半島に上陸したのは8騎馬程度でございます。

そして房総半島の有力者上総介と云う武士が、五万騎馬の軍勢を引き連れて源頼朝に挨拶に来たのでございます。

源頼朝は、上総介に云ったのでございます。

上総介は、遅参であるぞ。

源頼朝は、武家の棟梁職であり源氏の氏の長者であると云ったのでございます。

源頼朝の軍勢は、北条家のかき集めた軍勢8騎馬程度でございます。

一方で挨拶状に掛け付けた上総介の軍勢は、五万軍勢でございます。

普通ならば来てくれたて有り難うと云うのでございます。

しかし源頼朝は、五万の軍勢を引き連れた上総介を叱り付けたのでございます。

人物を観る目に長けた上総介は源頼朝こそが武家の棟梁各と見込んで反平氏として源氏に鞍替えしたのでございます。

関東地区の大大名上総介が、源氏方に鞍替えしたので他の関東地区の武士団も競って源頼朝の陣に名刺入れを差し出したのでございます。

現在の名刺入れを相手方に渡す事は、家臣筋に入る事の証事でございます。