令和4年1月11日の事【2】

筋肉トレーニング&体操80%は達成感でございます。

内容物は、ダンベル3キログラムを2百回上下運動でございます

朝入酸素運動は80%は達成感でございます。

30分間のウォキングでございます。

朝我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経の実行でございます

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興の事でございます。

我が事業の急成長カーブミラーでございます。

幕末の頃に島津家の大名行列が生麦村を通過していたのでございます。

そこに前から西洋人が馬車に乗り大名行列に向かって来るのでございます。

そこで薩摩隼人が、この行列は島津家の大名行列である旨を伝えたのでございます。

しかしバテレン人は、大名行列の意味合いが理解出来ないので下馬する事も無く通過したのでございます。

そこで薩摩隼人は、バテレン人を薩摩示現流の使い手に斬り殺させたのでございます。

この斬り殺されたバテレン人は何とイギリス人の大使でございました。

当時のイギリスと言うと、無敵艦隊と言われて世界最強の軍事集団でございます。

イギリス大使館は、徳川幕府に対して薩摩藩を処分する事を要求したのでございます。

しかし徳川幕府の権威は著しく低下していた為に、薩摩藩は幕府の意向を無視していたのでございます。

イギリス大使館は、徳川幕府に注文しても解決しない事を悟ったのでございます。

そこでイギリス国に報告書を提出したのでございます。

イギリス国は、日本国を攻め込むチャンス到来と考えてイギリス艦隊を薩摩半島に展開させたのでございます。

イギリス艦隊は、最新鋭の軍艦&武器を装備して薩摩藩を脅したのでございます。

薩摩藩は、薩摩隼人の人々の集合体でございます。

薩摩隼人族は、日本国の中でも最強の暴力集団でございます。

我が先祖も合戦には強かったのでございますが、やはり薩摩藩と有馬藩の連合軍に敗北したのでございます。

イギリス人は、薩摩藩を見縊っていたのでございます。

艦隊で脅す事で、薩摩藩は詫び状を差し出すと考えていたのでございます。

ところが薩摩隼人は、手漕ぎ船で艦隊と互角に合戦したのでございます。

手漕ぎ船でイギリス艦隊に近ずき、船に乗り込んではイギリス人を薩摩示現流で斬り殺したのでございます。

そして薩摩藩士は、大砲で撃たれても絶対に死ぬ前には最低一人のイギリス人を斬り殺す事を実行したのでございます。

イギリス艦隊の司令官は、薩摩藩の強さにビビりまくったのでございます。

艦隊の司令官曰く、日本国には薩摩藩のような組織が三百藩存在すると聞いた。

最終的には、イギリス人が勝利するとしても甚大な被害者が出ると云ったのでございます。

そこでイギリス艦隊司令官は、薩摩藩に和議を申し込んだのでございます。

薩摩藩士は、イギリス艦隊司令官に云いました。

まだ薩摩藩には、一万人の軍勢が合戦をする事を楽しみにしている。

この薩摩藩士の気持ちを知ったイギリス艦隊の司令官は、早く合戦を終了させた事は正解だったと思ったのでございます。

九州地区は、薩摩藩だけでは無く合戦に強い藩ばかりでございます。

その中で特に強い藩が、熊本藩薩摩藩でございます。