令和3年12月22日の事

今度年末年始には、最高級の寒波が到来するとの事でございます。

我が館が存在する千葉県九十九里海岸通りも、マイナス9℃と云う九州地区出身者の私自身としては耐える事が出来るか疑問符でございます。

しかし我が国に、今回以上の国難が到来していたのでございます。

その国難に耐え抜いた武将が、鎌倉幕府の八代執権職北条時宗でございます。

北条氏は、桓武天皇の子孫ではございますが家系図を偽造する事で相模守兼務5位の身分証の武士でございます。

北条家も、源頼朝の家臣筋であり御家人の一人でございました

そこで鎌倉幕府の実力者北条家は、他の御家人の反感を抑える為に相模守兼務5位以上の官職を願わなかったのでございます

そして北条時宗に対して、大陸のモンゴル帝国からの使者が到来したのでございます。

使者は、日本国との交易を求めて来たのでございます。

北条時宗は、使者を斬り殺したのでございます。

鎌倉幕府は、征夷大将軍💟でございます。

この征夷大将軍💟を守護する執権職北条時宗としては、モンゴル帝国との交易を認める事が出来なかったのでございます。

するとモンゴル帝国は、何と20万の軍勢を送り込んで来たのでございます。

モンゴル帝国の軍勢は、先ずは対馬国に攻め込んだのでございます。

対馬国守護職は、平氏と云う武将でございました。

平氏の家臣筋は、80騎で20万の軍勢と合戦したのでございます。

ところが80騎で2日間持ち堪えたのでございます。

そして家臣筋を九州地区の鎌倉幕府長官職少弐殿に伝令したのでございます。

少弐殿の招集に応じた九州地区の御家人博多湾に集合したのでございます。

そして我が先祖も、肥前国佐賀荘から博多湾に乗付けたのでございます。

少弐殿は、我が先祖の上役でございます。

少弐殿は、肥前国と他の5ヵ国の守護職でございます。

そして我が先祖は、肥前国佐賀荘園の地頭職でございます。

そして我が先祖は、一家一門衆を束ねてモンゴル帝国の軍勢をめっためったに斬り殺したのでございます。

その御恩と奉公の領地としては背ぶり山と云う領地を頂いたのでございます。

そして我が先祖は、農地に加えて林業も兼務したのでございます。

朝台湾バナナ🍌は0%でございます。

2・朝筋肉体操&トレーニングは20%でございます。

寒い間の筋肉トレーニング&体操は、20%以上のスコアアップは期待する事は困難でございます。

朝入酸素運動は20%でございます。

やはり寒い事が苦痛な私自身は入酸素運動は無理無理無理でございます。

4・朝我が宗派浄土真宗本願寺派の読経。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

我が事業は急上昇気流に乗付けたのでございます。