楠正成は、武家であり流通業者組合の組合長でもあった。
楠正成も、鎌倉幕府の御家人であり武家政権の一翼を担う立場であった。
ところがモンゴル帝国が日本国に攻め込んだ後は、鎌倉幕府はモンゴル帝国の軍勢を打ち破った御家人の功績に対して何の恩賞を与える事が出来なかった。
そこで各地の鎌倉御家人たちは、自らの才覚で生活を維持する必要性があった。
楠正成は、畿内を領地に持つ御家人であり、京都にも近い場所に本拠地を持っていた。
また大阪は、浄土真宗本願寺派の本拠地であり商人などの物流倉庫が蔵を維持していた。
蔵には金銀財宝が納めてあり、強盗犯や野伏などから狙われていた。
楠正成は、畿内地域の土地柄を活かして物流業者を開業してみせた。
そして近隣の御家人たちを誘い物流業界に新規参入させた。
また自らは物流業界の頭となり、京都の公卿集団や大阪の浄土真宗本願寺派の悪僧侶たちと契約書面の交渉人として調整を行っていた。
楠正成は、鎌倉幕府の御家人から物流倉庫の社長に転身する事に成功した商才に長けた人物である。
楠正成は、物流業界で成功して生活も安定していた。
だから鎌倉幕府が倒幕されようと、楠正成には関係は本来的にはなかった。
ところが足利尊氏率いる鎌倉幕府の外様大名たちが、鎌倉幕府本体を牛耳る執権職の北条氏一門衆の倒幕活動を始めた。
楠正成も、元々鎌倉幕府の御家人であり能力と経済力も軍事的な能力を兼ね備えていた。
足利尊氏が、楠正成のずば抜けた能力を見逃すはずがなかった。
能力を兼ね備えた人物は、人の能力を見抜く力も一流だった。
足利尊氏は、直ぐ様楠正成を自分自身の陣営に引き込む事が出来た。