令和3年12月22日の事

私自身が好きな武将は、第1位は西郷先生でございます。

西郷先生は、薩摩藩の武将でございます。

しかし豊臣秀吉が、島津家征伐に来た時に九州地区の武士団たちを秀吉の陣に参陣するように求めたのでございます。

九州地区の武士団たちは、ほとんどの武士団たちは豊臣秀吉の陣に参陣したのでございます。

当然の事ではございますが、我が先祖も早々と豊臣秀吉の陣に参陣したのでございます。

ところが肥前国の諌早市の武士団が、豊臣秀吉の参陣招集に拒否したのでございます。

豊臣秀吉は、憤慨して2万の軍勢を諌早市を領地にする西郷氏を攻め立てたのでございます。

しかし多勢に無勢でございます

西郷氏は、豊臣秀吉の前に頭を剃って氏名も西郷にひっくり返す事で許して貰ったのでございます。

その中の西郷氏は、知り合いである薩摩国の島津家を頼った一族の子孫が西郷先生でございます。

我が先祖も、薩摩国守護職島津家と肥前国守護職に1回限り就任した有馬家の連合軍に負けた一族でございます。 

次には楠正成が好きでございます。

楠正成は、鎌倉幕府御家人でございました。

しかし御家人だけの収益だけでは生活する事が出来ず、運送業者の集合団体の組合長に就任したのでございます。

ところが鎌倉幕府執権職北条高時の執事職長崎氏は、楠正成に対して運送業者に税金を徴収すると通達を出したのでございます。

そんな時に後醍醐天皇陛下が、鎌倉幕府打倒を打ち出したのでございます。

楠正成は、一族郎党を引き連れて後醍醐天皇陛下の館に参陣したのでございます。

そして最終的には、3百騎で足利尊氏が率いる5万騎の大群と3日間合戦を繰り広げたのでございます。

一方新田義貞も、名和長年の武将は直ぐに逃げ出したのでございます。

そして第三番目は、我が先祖の武将でございます。