我が館が寒くて尖兵布団から出れない事

千葉県九十九里海岸通りは、太平洋側面に接しているので温暖地域と思われているのでございます。



しかし我が先祖代々の九州地区佐賀は、温暖地域であり冬場で2℃まで下ると非常に寒いと云うのでございます。



我が先祖は、九州地区大宰府の役人でございました。



氏も藤氏であり、系図上では藤原南家出身者でございます。



しかし藤原家の中でも、藤原南家出身者は貴族の中でも軍事貴族であり武官の官職枠も限定的でございます。



我が先祖は、朝廷の出先機関の地方勤務形態が数多であり最終的には大宰府勤務で退職したのでございます。



その大宰府勤務時間中に、源平合戦に参加して源頼朝に名刺入れを提出したのでございます。



そして源平合戦に参加した後に大宰府勤務をこなしていたのでございます。



そして源平合戦で源氏方が勝利した後は、九州地区佐賀の地頭職に指名されたのでございます



その後鎌倉時代室町時代を通じて九州地区佐賀の地頭職を歴任したのでございます。



そして我が先祖が花開く事が出来たのが、戦国時代でございます。



其れも九州地区を三分する勢力圏の一角にくい込んだのでございます。


しかし我が先祖38家を束ねていた惣領家が、最初は肥前の熊🐻と云われて恐れられていました。



ところが余りの独裁者的な政治を行ってしまった為に肥前の国の武士団たちが離れてしまったのでございます。



我が先祖は、一門衆だった為に惣領家に付いて行く事になりました。


そして外様大名の家臣筋でありながら、唯一我が一門衆を補佐したのが鍋島弾正忠家でございます。



ところが鍋島弾正忠家は、我が一門衆を蔑ろにして豊臣秀吉徳川家康に信任されてしまったのでございます。



その信任された事を背景に、九州地区佐賀3五万の外様大名に指名されてしまったのでございます。




我が先祖は、38家存在する中で何と主家筋の家柄でありながら家臣筋の鍋島弾正忠家の何と足軽大将&五石取りの侍に就任してしまったのでございます。



私自身は、足軽大将では無く農民階級になり地主階級を目指すのが良かったのではないかと思うのでございます。



こんな温暖地域の九州地区佐賀出身者の私自身は、関東地区の千葉県九十九里海岸通りは寒く感じるのでございます。



我が館は、断熱材が存在していないのでございます。


更に暖房器具は、敷毛布だけでございます。



私自身は、寒くて寒くて死にそうでございます。



新妻が存在すれば、抱き合い尖兵布団に寝る事が出来れば暖かい睡眠時無呼吸症候群が解決する事を確信しているのでございます。



千葉県九十九里海岸通りは、北風が吹き荒れています。



寒くて寒くて死にそうでございます。



早く新妻と一緒に抱き合い、我が尖兵布団を暖かくしたいと思うのでございます。