現在の東北地方は、陸奥国と出羽国のニカ国で構成されていたのでごさいます。
しかし東北地方は、宮から遠く離れていたために国司が赴任しても朝廷の権威が届かない地区でごさいました。
陸奥国では阿部一族の意向が強く、国司の権威も無視する有様でごさいました。
また出羽国では、清原氏の意向が強く陸奥国と同様に朝廷の権威は行き届く事がございませんでした。
そこで朝廷では考えを思案したのでごさいます
そして国司に指名したのが武士階級の家の人を選択したのでごさいます。
源頼義と源義家親子は、武将としては当時最高に強い武士でごさいます。
朝廷では力の強い武士階級を国司に指名して、陸奥国と出羽国の豪族の力を武力で削ぐ対策を採用したのでごさいます。
国司に指名された源頼義と源義家親子は、東北地方に赴任する途中途中で地元の豪族たちを掻き集めて東北地方に赴任したのでごさいます。
特に坂東武者は、源氏の氏長者である源頼義、源義家の陣に馳せ参じたのでごさいます。
ところが阿部一族の抵抗戦略に遭遇してしまい12万もの歳月を費して阿部一族を討伐したのでごさいます。
源頼義と源義家親子は、阿部一族の首を揃えて京都に凱旋帰国を果たしたのでごさいます。
しかし朝廷の源氏に対する対応は、冷たい物でごさいました。
12年間で摂政関白殿下も大政大臣も左大臣も右大臣も内大臣も武官の最高職近衛府の左大将や右大将も様変りしていたのでごさいます。