佐賀藩の化け猫騒動

佐賀藩35万石の国主は、本来的には我が先祖が拝命していました。


豊臣秀吉が九州地方の武士団を平定した際には我が先祖の惣領主を肥前国35万石の国主に指名したのでございます。


我が一門衆は全部で38家が存在しました。



私自身の先祖は、一門衆の中では最低賃金の石高の武士階級でした。


ところが豊臣秀吉が無くなり、徳川家康が天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利してしまいました。



我が先祖は石田三成方に味方したために、佐賀35万石の領地を没収されそうになりました。


そんな時に我が先祖の執事職鍋島弾正忠が、徳川家康と親しい間柄と云って領地の召し上げを免れる事を約束して来ました。


ところが領地の安堵と引き換えに家来筋の鍋島弾正忠が、肥前国35万石の国主に就任する事が条件になっていました。



しかし鍋島弾正忠は、次の代では我が先祖の惣領家に政治権力を返上する事になっていました



ところが鍋島家は、何年経ても佐賀藩の政治を我が先祖の惣領主に返還する事はありませんでした。


我が先祖は活路を見い出すために、肥前国でも他家の大名家に奉職する事になりました。



しかし我が先祖の惣領主は、何とも気持ちの整理整頓が出来ませんでした。


そこで惣領主の飼い猫であるクロと云う名前の猫に、自分自身が切腹した血をペロペロと舐めさせたのでございます。


飼い猫が主君の血をペロペロ舐めると、猫に力が備わり呪い殺すと云われていました。



すると不思議な事に、参勤交代で江戸に在中していた鍋島弾正忠が狂い死にしたのでございます。


鍋島家江戸藩邸には、飼っても居ない黒猫が住み付いていたのでございます。


そして殿様が狂い死にすると、黒猫の姿はありませんでした。


この出来事を知り付けた歌舞伎役者が、佐賀藩鍋島家の化け猫騒動として演技されたのでございます。


当時のお家騒動は、江戸幕府の取り潰しの材料になりました。


鍋島家では、元々の主君筋である我が先祖たちの名前を全員変更させられました。


だから私自身も、本来的な名前を名乗る事が出来ませんでした。



そこで家系図を裁判所に提出する事により、元々の名前変更を申し出ました。


ところが我が先祖は、何を考えたのか源頼朝から系図が始まっていたのです。


本来的には藤原不比等から始まるのが本当でございます。



裁判所からは偽系図との烙印を押されたために氏の変更は認めてもらえませんでした。