我が先祖は、龍造寺氏と云う鎌倉時代に源義朝に味方して九州肥前国の佐賀の地頭職に指名されたのでございます。
あの対馬国や壱岐国の守護職大名の平氏一門衆80人を、大陸から攻め込んで来た元の軍勢に皆殺しにされました。
しかし対馬国と壱岐国の守護職大名は、何万人の元の軍勢を数日間食い止めたのでございます
でも多勢無勢でございます。
元の軍勢は、勢い付き博多湾で待ち構えていた鎌倉御家人の中に突入して来たのでございます
しかし日本国の武士団は、勇敢に合戦して博多湾えの上陸を阻止したのでございます。
この異国との合戦には、我が先祖龍造寺も一門衆を引き連れて華々しい勲功を立てたのでございます。
そして足利尊氏が、鎌倉幕府執筆職北条氏に対して謀反を企てた時には真っ先に足利尊氏の陣に馳せ参じたのでございます。
足利尊氏は、我が一門衆が陣に馳せ参じた事を高く評価して領地を加増してくれたのでございます。
ところが室町幕府の権威も乱れて、世の中は戦国時代に突入したのでございます。
しかし我が一門衆は、戦国時代の時流に上手く載る事が出来ず豊臣秀吉や徳川家康から粗野に扱われたのでございます。
そして豊臣秀吉や徳川家康は、我が一門衆の家臣筋に当たる鍋島弾正忠を高く評価していたために肥前国佐賀三十五万石の国主に指名したのでございます。
我が一門衆は、全国各地に散り散りなり農民や商人で生計を立てたのでございます。
しかし我が先祖の嫡流家は、鍋島弾正忠家の元で客将の待遇で扱われたのでございます。
ところが鍋島弾正忠は、我が先祖の嫡流家を何と騙し討ちにしました。
其れを見ていた嫡流家が、可愛がっていた黒猫が化け猫となり鍋島弾正忠を苦しめたのでございます。