足利尊氏が攻め上ったように我も攻め上る事

私自身は、今は千葉県九十九里海岸通りに我が館を構えているのでございます。


東京都江戸川区に住み付いていましたが、タクシードライバーを解雇された事を契機に10万円の土地を購入したのでございます。


私自身の先祖は、九州地区の肥前国佐賀の地頭職として繁盛していたのでございます。



しかし戦国時代に突入すると下剋上の風潮が高まり我が先祖の惣領家が分不相応な事柄に身を投じて一時的に肥前守に任命されたのでございます。



ところが室町時代から肥前守に任命されていた有馬家は面白く無く、九州地区の実力派島津義弘の援軍を要請したのでございます。



我が先祖は、38家の一門衆と肥前国の家臣筋を掻き集めて有馬家&島津義弘連合軍と合戦したのでございます。



しかし我が先祖の一門衆は、にわか造りの軍勢で生え抜きの有馬家&島津義弘の精鋭部隊と合戦したので敗北の憂き目に遭遇したのでございます。



また我が先祖の敗北に乗じて、家臣筋の鍋島弾正忠家に家を乗っ取られてしまったのでございます。




この乗っ取り計画の成功により我が先祖は、下り坂の人生経験を余儀なくさせられたのでございます。



私自身の先祖も、乗っ取り計画の張本人鍋島弾正忠家の佐賀藩足軽大将5石取りの家臣筋として江戸時代を過ごしました。



明治維新により、農民階級になり農業従事者として過ごしたのでございます。



そこで私自身は、肥前国の守を目指して東京都青梅市に攻め上った暁には東京都都議会議員バッジをはめるべく選挙に打って出たいと思う次第でございます