強きを挫き弱きを助かる平将門

東京簡易裁判所で、大手通信会社との裁判に負けてしまいました。


私自身の家は、江戸時代は武門の出身であり合戦を生業とする者でございます。



しかし我が鍋島侍は、ハッタリ人が多くいざになると総崩れする事を常としている藩でございます。


あの佐賀鍋島藩出身の司法卿まで出世した衛藤新平も、薩摩藩出身の西郷先生の振舞いとは対象的に佐賀の乱を起こした後に総崩れする事になるのでございます。



佐賀藩を別名、ハッタリ男児と云うのでございます。



本来的ならば、九州男児と云う呼称とは対象的でございます。



我が先祖の惣領家も、佐賀三十五万石の領地を安堵されましたが鍋島弾正忠を家老職に指名して我が先祖の領地家は江戸住まいの沙汰があったのでございます。



我が先祖の惣領主は、何と徳川家と鍋島弾正忠に腹いせに自殺して果てたのでございます。



ところが我が先祖の惣領主は、武家の作法事である切腹したのでは無く毒を飲んで死んだのでございます。


この自殺が、他の武家たちから批判を受けたのでございます。



そして佐賀の化け猫騒動に発展したのでございます。


私自身も、現在黒猫を飼い込んでいるのでございます。



黒猫は、主人の血をペロペロ舐めると神秘的な力を発揮して主人の仇討ちを果たしてくれるのでございます。



あの平将門は、我が先祖とは対象的に関東の民人たちのために関東各地の国司と合戦して税金免除を勝ち取ったのでございます。



しかし我が先祖である下野国の有力者藤原秀郷の軍勢に敗れたのでございます。


この合戦の恩賞として藤原秀郷は、朝廷から貴族に引き上げられたのでございます。



江戸っ子には、平将門を尊敬する土壌が存在しました。


そこで江戸っ子は、平将門の生き様に近づく事を目標にしていたのでございます。



だから江戸っ子は、強い者には絡み弱い者には親切にする事を常に考えていたのでございます