兵乱の世の中

平安時代の末期、貴族社会の弊害が表面化して地方の有力者である武士階級が台頭してきた。


武士階級の人々は、殺傷力を用いて自分自身の領地を守り抜く事を生業としていた。


そして武士階級は、一族郎党がピラミッド型で構成されている。


一族郎党の一部の人々が、他人に領地を侵害された場合には一族郎党の集団で仕返しを実行する。


その結果として奪われた領地の回復を、血の繋がりの集団で回復する事で一族郎党の結束力を維持していた。


貴族階級は、武士階級を番犬のように扱い政治的に対立している人々を武士に命令して暗殺や闇討ちや毒殺した。


しかし実行犯である武士階級の人々は、貴族に命令されて暗殺したのに罪を取らされた。


時には、武士階級の人々は一族郎党で貴族の敵味方に分かれて合戦する事もあった。


父親が敵の陣営に番犬のように呼び出される。


一方息子たちは、相手方の貴族に番犬のように呼び出される。


武士階級は、仕方なく親子相別れて一族郎党間で合戦する事になる。


この貴族階級間の争いは、総て武士階級に行わせる。


ところが平忠盛と云う武士階級の人が登場する事で、だんだんと武士階級の人々が番犬のような扱いから抜け出す事になる。


そして平忠盛の嫡男である平清盛に至り、大政大臣従一位と云う最高の官職に指名された。


しかし平氏武家の棟梁であり、公卿集団の棟梁ではない。


平家は、武士階級でありながら公卿集団の仲間入りをしてしまった。


次第に諸国の武士階級の指示を失う事になる。



この平家の教訓を活かして、武家政権を打ち立てたのが、流人生活を飛び越して鎌倉幕府を開き征夷大将軍に指名された。


その結果各地に守護職と地頭職を設置して、朝廷から指名されている武力を背景として国司職を圧倒した。