平敦盛の事

源氏と平氏武家の棟梁を争う合戦を題材にした平家物語


一方鎌倉幕府の横暴に反旗を翻して、執権職北条高時から大将に任命されて京都に向けて出陣した足利尊氏


この足利尊氏を題材にした合戦軍記物語の太平記


日本国の軍記物語2台巨塔の双璧でございます



その中で平家物語の中で、平敦盛が坂東武者の熊谷直実の昇段が好きでございます。




一の谷合戦で源義経の奇襲攻撃により、平家の武士は皆が総崩れになったのでございます。




平家は、海に大舟を浮かべて平家一門の人々は舟を目指して馬🐎を泳がせたのでございます。



源氏方の武士は、良い武将を討ち取り源頼朝から土地に関する権利済証を貰いたいものであると考えていた。



坂東の荒武者である熊谷直実は、良い敵はないものかと浜辺を彷徨いていた。



すると錦の鎧に兜を身に付けた武士が、馬🐎を泳がせて大舟に向かっていた。



熊谷直実は、軍配団扇を大きく上げて、こちらに来い戻れ戻れと叫んだ。



すると何を考えたのか逃げれば良いものの、馬🐎を方向転換させて熊谷直実の方に戻って来るではありませんか。



熊谷直実は、不思議な武士とは思ったが良い大将に有り付けたと思い飛び上がり喜んだ。



そして坂東の荒武者熊谷直実は、直ぐに平家一門の武将の首を取ろうとした。



すると若武者であり、少年でもあり美少年でもあった。



熊谷直実は、この人を助けたいと云う思いが目覚めた。



そこで助けるにしても名前を伺いたいと思い、平家一門の誰かと訪ねた。



すると気負いする気配も無く、自分の名前を名乗る事も無く貴様は一体誰かと訪ね返した。



熊谷直実は名乗った。


関東地区の武蔵の住人熊谷二郎直実でございますと名乗った。


熊谷直実は、二郎としか名乗る事が出来ない田舎暮らしの地主でございますと云った。



熊谷二郎直実の名乗りを聴いて、貴様に対しては自分の名前を名乗る積もりはないと云った。



しかし私の首を取れば、良い恩賞に有り付く事が出来るであるぞと云った。



私自身も、武士の子孫でございます。



平敦盛のような境遇に遭遇した場合、馬🐎の方向転換をして坂東武者に向って行く事が出来るか考えました。


私自身は無理無理ですと云うと思いました。



理由は簡単でございます。



ムカデ殿が怖くて怖くて仕方ないボクでございます。


このボクが、坂東の荒武者に喧嘩を吹きかける事など無理無理でございます。

家系図造りに精を励む事

私自身は、肥前国佐賀郡の領地を源頼朝公から頂き鎌倉幕府からは地頭職に任命された人の子孫でごさいます。


一様は家系図は、我が家の家宝として存在しています。


しかし私自身は、次男坊であり武家の仕来り上長男に家系図などは引き継がれるのでごさいます。



そこで我が家の長男に頼み込んで、家宝の家系図を借り受けてせっせと家系図を製図している最中でごさいます。



家系図からは、我が家の始まりは藤原鎌足から始まっています。



私自身としては、源氏か平氏家系図が良いと思うのでごさいます。



藤原鎌足から藤原不比等に繋がり、途中は藤原秀郷に枝別れして藤原隆家と云う人物に繋がっていました。


藤原隆家は、太宰府の役人として京都から九州に赴任していました。



この藤原隆家の時に、源頼朝が平家打倒に立ち上がり等々流人生活から抜け出して鎌倉幕府を開いたのでごさいます。



藤原隆家は、役人生活に嫌気がさしていたので武家に転じて源平合戦に参加したのでございます。



そして何とか源頼朝の勝利に貢献して、鎌倉幕府御家人に推薦状を提出して地頭職に任命されたのでございます。



この藤原隆家が、肥前国佐賀郡に地頭職として赴任する最中に寺で休息したのでございます。



何と寺は天台宗であり、龍造寺と云う寺でありました。



藤原隆家は、京都は天台宗門徒であり比叡山延暦寺では通夜を毎回行っていました。



そこで藤原隆家は、藤原を龍造寺に変更したのでございます。



肥前国佐賀郡内は、ほとんどが天台宗龍造寺の檀家でありました。



肥前国佐賀郡内の人々は、家の宗派は天台宗龍造寺であり地頭職は龍造寺家と云うのはめでたい事として喜んだ。



龍造寺家は、天台宗龍造寺を存分に利用して領民の心持ちを鷲掴みにしたのでございます。



この系図を作成する途中で、やはり源氏の系図に心を奪われたのでございます。



そこで藤原隆家が、源義家の姫君を妻にした事にして私自身の系図は源氏の系統の家系図に生まれ変わったのでございます。

後1週間以内に静岡県清水区に行く事

静岡県清水区に行く日が近づいて来ました。


緊張感が向上して、卒倒しそうでごさいます。



静岡県清水区までのルートを今は、思案している最中でごさいます。



まず高速道路を使用して、東名ハイウェイを突っ走る事が考えられます。



しかし私自身は、20年以上前に東京でタクシーの運転手をしていた経験がごさいます。



でも九州佐賀藩自身の子孫である私自身が、東京都の地理が理解出来るわけがありません。



九州男児は、威張り散らしていて気性が荒いようなイメージを持たれます。



しかし福岡県&鹿児島県&熊本県&北九州以外の地位の九州男児は、基本的にはハッタリ男児と云う別名がごさいます。



九州男児は、合戦になると底力を発揮しますが普通にはハッタリ男児として熱し易く冷め易い特徴がごさいます。



私自身も、先祖が九州佐賀藩の出身でごさいます。



肥前国佐賀藩の気性が身に染み付いているために、やはりハッタリ男児でごさいます。



しかしムカデ殿が怖くて怖くて、毎日ムカデ殿が出没しないように神仏に祈祷をしているのでごさいます。



そんな訳でタクシードライバーとしては、1年間限定の運転手でごさいました。



だから基本的には車の運転手は、嫌いでごさいます。



高速道路なんて大嫌いでごさいます。



本当は自転車&徒歩で移動する事が好きでごさいます。



糖尿病患者としては、運動療法は必須アイテムでごさいます。



しかし自転車生活1ヵ月で挫折した九州男児特有の熱し易く冷め易い気質丸出しの男子でごさいます。



そこでルートを思案しました。



まず千葉県柏市に行き、国道16号をひたすら走り抜けて私自身が住みたいランキング第1位の青梅市に到着します。



そこから奥多摩町を通過して、山梨県小菅村を通り過ぎる。



次は小菅村から山梨県大月市を目指して、大月市から河口湖町に行き富士吉田市を通過して富士市の国道1号線に出る。



富士市では、国道1号線沿いにある道の駅でひと休みしてセブンイレブンのアイスクリームを頂く事します。



富士市まで来れば、静岡県清水区までは何十キロメートルの距離でごさいます。



蒲原駅を通過すれば、静岡県清水区が左方向に見えて来ます。



本来的には静岡県静岡市駿府城公園に行きたいです。


そして静岡県静岡市駿府城公園の茶室で、静岡県産地を使用した抹茶を味わいたいのでごさいます。



日産自動車MARCHで車中泊していた頃の出来事でごさいます。



車中泊しながらも、無性に静岡県静岡市駿府城公園の茶室で抹茶を味わいたい気持ちが沸き上がったのでごさいます。



そこで静岡県静岡市駿府城公園の茶室を、浮浪者の身分ではありましたが抹茶を所望したのでごさいます。



美味しゅうございました。

記憶に残っている日は伊豆半島で車で暮した事

神奈川県某市の新聞販売店に勤務していた頃の事でごさいます。


良くスーパーマーケットなどに置いある仕事求人情報誌で、神奈川県某市の新聞販売店に就職したのでごさいます。



しかし神奈川県某市の新聞販売店は、社長と従業員が皆皆様が元ヤンキー上がりの人たちばかりでごさいます。



毎日毎日怖い怖い人と仕事をする事の辛さは何とも表現方法が難しいです。



私自身も、元武家の出身であり殺傷を生業にする職能集団の子孫でごさいます。



しかし我が先祖の棟梁は、余りの太り過ぎていたために馬🐎では無くコシに乗って合戦場に参加していたのでごさいます。




そして薩摩国大隅国の国主島津家と肥前国の有馬家の連合軍に敗北してしまいました。



戦国武将として馬🐎上では無く、コシを担がせて戦場で戦死した武将は我が先祖と今川義元の二人だけでごさいます。



この不覚人を先祖に持つ私だからこそ、元ヤンキー上がりの人やムカデ殿や熊や毒ヘビや人食いサメなど怖い怖い物が数多存在するのでごさいます。



また我が先祖の惣領家は、肥前国佐賀三十五万石の領地を奪われて身柄は江戸幕府に取られていました。



そして妻は、元家臣筋の鍋島弾正忠家の姫君を娶っていたのでごさいます。



ある日の事でごさいます。



妻を刺し殺して、自分自身は馬上から毒を飲み干し落馬したのでごさいます。



しかし死に切れずに、全国各地から江戸に常駐していた武家の笑い者となったのでごさいます



本来的には武家は、切腹する事が作法でごさいます。



其れが毒を飲み干して馬上から落馬して、死ぬ事が出来ないとは恥でごさいます。



あの織田上総介信長の息子は、豊臣秀吉から切腹を命令されました。



しかし豊臣秀吉は、元々は家臣筋であり切腹の命令も屈辱の何ものでもありません。



そこで織田上総介信長の息子は、切腹した後々に内蔵を豊臣秀吉に投げつけたそうでごさいます。



この織田上総介信長の息子の行動は、武士の間では褒め称えられたそうでごさいます。



しかし我が先祖は、切腹では無く毒を飲み干して死に切れなかったのでごさいます。



この卑屈な遺伝子が、我がDNAに記憶されているのかもしれません。



だからムカデ殿が怖くて怖くて仕方が無いのではありませんでしょうか?



新聞販売店を社長に黙って逃げ出して、日産自動車マーチを所有していたので伊豆半島車中泊して暮しました。



やはり日産自動車マーチは、乗用車タイプなので寝ても疲れが取れません。



この疲れを癒やすのが、伊東市温泉郷七福神共同浴場でごさいます。



2百均で入り放題であり、激安プライスダウン料金でごさいます。



この温泉郷に入り事が出来たので、6カ月の間日産自動車マーチで車中泊が出来たのでございます。

自転車の生活から卒業する事

やはり村に住んでいる人間が、自転車で1日50キロメートル近くわっしょいわっしょい漕ぐ事は身体に応えます。



もう1ヶ月余りでギブアップしてしまいました



そして今日軽自動車を五万円で契約して参りました。



年式は昭和63年式のDAIHATSUミラでごさいます。



やはり三十年以上経ているために、エンジンはボロボロであり塗装は剥がれ落ちて廃車寸前の自動車でごさいます。



其れでも自動車で出掛ける事の有難さは格別でごさいます。



源平合戦の時代にも、武士が良い馬に乗るか乗らないかは合戦の勝敗を支配する大切な事柄でごさいます。



ある合戦の時に源頼朝が秘蔵していた名馬を源氏の武士たちが所望したのでごさいます。



しかし源頼朝は、弟の源範頼や九郎判官源義経御家人の目付役梶原景時などが馬🐎を欲しいと所望したのでごさいます。



ところが源頼朝は、誰にも馬🐎を渡す事はしませんでした。



しかし源頼朝の祖父源為義や父親の源義朝に忠実に奉職していた近江国の大大名は源氏に忠勤していました。



その近江国の佐々木秀義は、西国の合戦に向うに際して源頼朝が大切にしている馬🐎を盗み出して来たのでごさいます。



源平合戦の時代には、盗み出されるほどの名馬を所有権を持つと云う事は一種の名誉な事でもあリました。



この源頼朝から盗み出した馬🐎で、佐々木秀義は宇治川の先陣争いに勝利したのでごさいます



源頼朝は、合戦奉行に訪ねたのでごさいます。



宇治川の合戦で先陣争いに勝利した武士は誰てあると聞いた。



すると宇治川の合戦で先陣争いに勝利したのは佐々木殿でごさいますと答えた。



その事を聞いた源頼朝は、涙を流して喜んだ。



佐々木家の人々は、源頼朝の父親源義朝を鎌倉に逃すために自らの命を投げ出して尾張国の家臣筋の長田一族の元まで逃したのでごさいます



ところが長田一族は、源氏の家臣筋でありながら主君源義朝一行を風呂場で暗殺してしまったのでごさいます。



しかし平清盛は、長田一族に対して冷酷な対応をしたのでごさいます。



主君源義朝を風呂場で騙し討ちにするような者は、何時この平家を裏切るか判らない。



しかし源義朝の首を討ち取った事に対する褒美はやろうと云った。



平清盛は、壱岐の国の国司が良いか対馬国国司が良いか選ぶが良いと云った。



壱岐国対馬国も、人気が無い国司の国であった。



当然の事ではあるが、長田一族は何と平家一門はケチな武家の大将かと云って尾張国に帰還した。



ところが源頼朝が、鎌倉幕府を創設すると真っ先に長田一族は皆殺しの仕打ちを受けた。

八王子城🏯を攻め昇る事

私自身は、八王子市と日野市の浅川と云う川を挟む地域に住んでいました。


八王子市は、JR中央線と私鉄の京王線が走り抜けています。


私自身のマイ駅は、中央線の場合には豊田駅を利用して京王線の場合には北野駅を利用していたのでごさいます。


京王線は、運賃が安く新宿まで到着時間が早いです。


特急に乗ると、主要な5箇所の駅しか停車しませんでした。



途中途中の駅は、皆皆通過するのでごさいます



アパートは、3万円ジャストのプライス料金で借り受けていました。



八王子市は、大学が数多存在する関係上アパートが飽和状態にありポロいアパートは激安価格でごさいます。



日曜日には、高尾山や八王子城🏯に毎週通い詰めていました。



八王子城🏯は、山城であり険しい細い道を1時間以上掛けて昇るのでごさいます。



八王子城🏯からの見晴らしは、最高級レベルの絶景でごさいます。



八王子市や新宿方面や立川市方面が一望出来ます。



早く東京都青梅市に行き、八王子城🏯を制覇したいです。



しかし東京都青梅市には、多摩川沿いに熊が出没すると聞いた事がごさいます。



私自身は、先祖は九州地区の地頭職であり佐賀鍋島藩に五石で奉職していた武士階級でごさいます。



ところが私自身は、ムカデ殿は怖いしましてや熊なんどは出合い頭に卒倒するかもしれません



やはり城🏯は、西日本の方が壮麗であり美しい城が多いような気がします。



一方東日本の城🏯は、無駄遣いが無く余り予算的に節約思考の力学が働いているような気がします。



やはり箱根山を越えた場所から、坂東&関東地区&東国の地域に入るように想います。



箱根山を越えた場所は、西日本よりも気候的に厳しく生活も大変なので城造りも節約思考が強かったのではないでしょうか?

車が無いと自転車🚲で行き来する事

私自身が住んでいる所は村でごさいます。


現在でも葬式と火事場以外は、村人から何も付き合って貰う事が出来ない恐ろしい掟がごさいます。俗にゆう村八分でごさいます。



あの岡山県美作国で起きた出来事である、村人全員を若い青年が皆殺しにした事件があリました。



また若者の出立が凄まじく、頭の両側にはロウソクを立て右手には猟銃で左手には日本刀を持ち次々に村人を殺傷したのでごさいます。



この若者も、村人から村八分の仕打ちを受けていたのでごさいます。



新聞には大大的に津山市百人超えの殺傷事件と云う報道記事が出ました。



その記事を目にした作家横溝正史は、この事件に興味津々であり早速に取材旅行に出掛けたのでごさいます。



この横溝正史は、ミステリー作家として文壇に名前を轟かせていました。



しかし作家としてスランプに陥り、中々に良い作品を捻出しかねていたのでごさいます。



この横溝正史は、ミステリーを書く時には山奥に籠もり如何にも化け物が出るような山小屋を借り切り電器も付けずに執筆に没頭したのでごさいます。



私自身も、山奥の小屋に住み付いて電器も付けずに暮らしているのでごさいます。



しかしムカデ殿が出るために、電器を付けない生活が出来なくなりました。



真夜中に帰ると真っ暗闇の中でムカデ殿を見つけるのは至難の技でごさいます。



そこで電器を付けない生活が出来なくなりました。



一ヶ月間の電気代は跳ね上がり、月五百円代に突入したのでごさいます。



その上に自転車での生活でごさいます。



1日の移動距離は、百五十キロメートルにもなります。



現在はママチャリで漕いでいますが、もっと楽ちんな電動自転車にするべきか迷っています。



しかし電動自転車も何十万円出さなければ買う事が出来ません。



其れならば激安中古自動車を買う方が良いのか迷います。



車🚗の所有は、金銭的負担が私自身の肩にのしかかる事になり、肩凝り症の私には堪える事が出来ません。