記憶に残っている日は伊豆半島で車で暮した事

神奈川県某市の新聞販売店に勤務していた頃の事でごさいます。


良くスーパーマーケットなどに置いある仕事求人情報誌で、神奈川県某市の新聞販売店に就職したのでごさいます。



しかし神奈川県某市の新聞販売店は、社長と従業員が皆皆様が元ヤンキー上がりの人たちばかりでごさいます。



毎日毎日怖い怖い人と仕事をする事の辛さは何とも表現方法が難しいです。



私自身も、元武家の出身であり殺傷を生業にする職能集団の子孫でごさいます。



しかし我が先祖の棟梁は、余りの太り過ぎていたために馬🐎では無くコシに乗って合戦場に参加していたのでごさいます。




そして薩摩国大隅国の国主島津家と肥前国の有馬家の連合軍に敗北してしまいました。



戦国武将として馬🐎上では無く、コシを担がせて戦場で戦死した武将は我が先祖と今川義元の二人だけでごさいます。



この不覚人を先祖に持つ私だからこそ、元ヤンキー上がりの人やムカデ殿や熊や毒ヘビや人食いサメなど怖い怖い物が数多存在するのでごさいます。



また我が先祖の惣領家は、肥前国佐賀三十五万石の領地を奪われて身柄は江戸幕府に取られていました。



そして妻は、元家臣筋の鍋島弾正忠家の姫君を娶っていたのでごさいます。



ある日の事でごさいます。



妻を刺し殺して、自分自身は馬上から毒を飲み干し落馬したのでごさいます。



しかし死に切れずに、全国各地から江戸に常駐していた武家の笑い者となったのでごさいます



本来的には武家は、切腹する事が作法でごさいます。



其れが毒を飲み干して馬上から落馬して、死ぬ事が出来ないとは恥でごさいます。



あの織田上総介信長の息子は、豊臣秀吉から切腹を命令されました。



しかし豊臣秀吉は、元々は家臣筋であり切腹の命令も屈辱の何ものでもありません。



そこで織田上総介信長の息子は、切腹した後々に内蔵を豊臣秀吉に投げつけたそうでごさいます。



この織田上総介信長の息子の行動は、武士の間では褒め称えられたそうでごさいます。



しかし我が先祖は、切腹では無く毒を飲み干して死に切れなかったのでごさいます。



この卑屈な遺伝子が、我がDNAに記憶されているのかもしれません。



だからムカデ殿が怖くて怖くて仕方が無いのではありませんでしょうか?



新聞販売店を社長に黙って逃げ出して、日産自動車マーチを所有していたので伊豆半島車中泊して暮しました。



やはり日産自動車マーチは、乗用車タイプなので寝ても疲れが取れません。



この疲れを癒やすのが、伊東市温泉郷七福神共同浴場でごさいます。



2百均で入り放題であり、激安プライスダウン料金でごさいます。



この温泉郷に入り事が出来たので、6カ月の間日産自動車マーチで車中泊が出来たのでございます。