自転車の生活から卒業する事

やはり村に住んでいる人間が、自転車で1日50キロメートル近くわっしょいわっしょい漕ぐ事は身体に応えます。



もう1ヶ月余りでギブアップしてしまいました



そして今日軽自動車を五万円で契約して参りました。



年式は昭和63年式のDAIHATSUミラでごさいます。



やはり三十年以上経ているために、エンジンはボロボロであり塗装は剥がれ落ちて廃車寸前の自動車でごさいます。



其れでも自動車で出掛ける事の有難さは格別でごさいます。



源平合戦の時代にも、武士が良い馬に乗るか乗らないかは合戦の勝敗を支配する大切な事柄でごさいます。



ある合戦の時に源頼朝が秘蔵していた名馬を源氏の武士たちが所望したのでごさいます。



しかし源頼朝は、弟の源範頼や九郎判官源義経御家人の目付役梶原景時などが馬🐎を欲しいと所望したのでごさいます。



ところが源頼朝は、誰にも馬🐎を渡す事はしませんでした。



しかし源頼朝の祖父源為義や父親の源義朝に忠実に奉職していた近江国の大大名は源氏に忠勤していました。



その近江国の佐々木秀義は、西国の合戦に向うに際して源頼朝が大切にしている馬🐎を盗み出して来たのでごさいます。



源平合戦の時代には、盗み出されるほどの名馬を所有権を持つと云う事は一種の名誉な事でもあリました。



この源頼朝から盗み出した馬🐎で、佐々木秀義は宇治川の先陣争いに勝利したのでごさいます



源頼朝は、合戦奉行に訪ねたのでごさいます。



宇治川の合戦で先陣争いに勝利した武士は誰てあると聞いた。



すると宇治川の合戦で先陣争いに勝利したのは佐々木殿でごさいますと答えた。



その事を聞いた源頼朝は、涙を流して喜んだ。



佐々木家の人々は、源頼朝の父親源義朝を鎌倉に逃すために自らの命を投げ出して尾張国の家臣筋の長田一族の元まで逃したのでごさいます



ところが長田一族は、源氏の家臣筋でありながら主君源義朝一行を風呂場で暗殺してしまったのでごさいます。



しかし平清盛は、長田一族に対して冷酷な対応をしたのでごさいます。



主君源義朝を風呂場で騙し討ちにするような者は、何時この平家を裏切るか判らない。



しかし源義朝の首を討ち取った事に対する褒美はやろうと云った。



平清盛は、壱岐の国の国司が良いか対馬国国司が良いか選ぶが良いと云った。



壱岐国対馬国も、人気が無い国司の国であった。



当然の事ではあるが、長田一族は何と平家一門はケチな武家の大将かと云って尾張国に帰還した。



ところが源頼朝が、鎌倉幕府を創設すると真っ先に長田一族は皆殺しの仕打ちを受けた。