令和4年4月12日の出来事🍀❤

朝筋トレは8割りは達成したのでございます。

朝入酸素は今からです。

朝我が宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成したのでございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞聖人南無阿弥陀仏

法然聖人南無阿弥陀仏

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は達成済でございます。

諸国一見の僧が、源平合戦で亡くなった武将を弔う為に長門赤間関の古寺で休息していました。

するといつの間にか寝入ってしまいました。

そして目が覚めると、目の前に甲冑姿の武者が諸国一見の僧の前に居たのでございます。

武者は、諸国一見の僧に対して夜中一杯合戦談義を話したのでした。

一の谷での合戦の事や屋島の合戦の事や壇ノ浦の戦いでの事などでございます。

そして諸国一見の僧は、甲冑武者の話を聴き終える頃にはほのぼのと夜が明けて来たのでございます。

すると夜中一杯合戦談義をしていた甲冑武者は、何と源九朗判官義経で在る事を証したのでした。

しかし源九朗判官義経は、奥州藤原氏の舘にて関東地区の軍勢に攻め込まれて亡くなってしまったのでございます。

この諸国一見の旅僧と夜中一杯合戦談義をしていた甲冑武者は源九朗義経の亡霊だったのでした。

諸国一見の旅僧は、懇ろに源九朗判官義経の墓の前でお経を捧げて亡霊を弔ったのでございます。

能で諸国一見の旅僧が、甲冑武者と夜中一杯語らうシーンがございます。

諸国一見の僧は、この世の中に未練を残した武将の亡霊を弔ひあの世に帰って頂く事を演出するのでございます。

因みに徳川家康が、朝廷から征夷大将軍職を頂く時に提出した家系図には新田系譜の源氏得川家が諸国一見の旅僧になって三河國松平郷に辿り着く事から始まっているのでございます。

この演出を編み出した人物は、源氏系譜の吉良上野介でございました。