南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏の18の願は、娑婆世界の人々を救い摂るのみに日夜働いて下さいます。
有り難い事でございます。南無阿弥陀仏。
また弘法大師空海も、釈迦様の教えが廃れて世の中が末法思想に突入して続々と兵乱が続くのを哀れみて生き身のままで高野山に入場なされたのでございます。
そして未来仏で在る弥勒菩薩が五十六億六千万年先に現れなさる仏様の出現まで我々を見守って下さいます。
何と仏様は有り難い事でございましょうか。
平安時代には、学識があり経済的に裕福な貴族階級だけが、仏様の教えを頂く事が出来たのでした。
しかし貴族階級だけが、仏様の力により救われると云う考え方に疑問を持ち続けたのが法然聖人と親鸞聖人でございます。
法然聖人は、比叡山延暦寺で第1のが智慧者と云われる程の天才でした。
在る時に、少年だった法然聖人が京都の街中で時の摂政関白殿下とすれ違ったのでございます
すると時の摂政関白殿下は、少年の法然聖人に対して丁寧に礼をしたのでございます。
摂政関白殿下に付き従う家臣筋が、摂政関白殿下に訪ねたのでした。
摂政関白殿下は、何故に小僧さんに対して丁寧に礼をなさるのですかと云うのでした。
すると時の摂政関白殿下は、きっとあの小僧さんは高僧になるからだと答えました。
そして比叡山延暦寺に存在する経典を15歳で読破してしまった法然聖人は、阿弥陀仏の経典に出逢い坊さんが遁世者になり比叡山延暦寺を下りたのでした。
しかし秀才の親鸞聖人は、30歳まで比叡山で悩み抜いた結果京都の街中で阿弥陀仏の教えを説く法然聖人の元に比叡山延暦寺から遁世したのでございます
日野家と云うと、足利将軍家には代々日野家から姫宮を正室に迎えていたのでございます。
あの悪女として名高い日野富子が有名です。