令和4年2月5日の事【3】

筋肉トレーニング&体操は7割達成でございます。

朝入酸素運動は1割達成でございます。

今日は寒くて死にそうです。そこで入酸素運動は出来ません。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然上人バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興は間違い無しでございます。

我が事業の急上昇気流に乗る事は間違い無しでございます。

我が先祖は、藤原氏の中では不遇続きの家筋でございます。

藤原北家&式家&京家&南家を創設した兄弟縁者が存在したのでございます。

その中で南家だけが、武家貴族階級の家筋として地方の国司として生きて行くのでございます

その中で平将門を追討した藤原秀郷が、下野守として栃木県に赴任していたのでございます。

ところが下野守の任期満了後は他の國の国司命令に従う事無く栃木県に住み続けたのでございます。

しかし武勇に優れた平将門が、関東地区を纏めて平親王将軍と名乗り威勢を示していたのでございます。

朝廷では、平将門を追討する武家を募集したのですが将門の強さに圧倒され誰一人応募しなかったのでございます。

すると同じ関東地区に住み続ける元々は貴族階級の、藤原秀郷が名乗りを挙げたのでございます。

朝廷では、摂政関白家や左大臣や右大臣や内大臣全てが、藤原一門衆でございます。

そこで公卿詮議【貴族が集まり会議を開く事】した結果、同じ藤原一門衆の秀郷を副大将に選抜したのでございます。

そして平将門の討伐に成功した暁には、4位に任命する事を呈示したのでございます。

藤原秀郷は、武家貴族階級の人でございます。

貴族とは云え、源氏系統や平氏系統と同じ殺傷を生業とした家筋の人でございます。

また長年に渡り坂東地区に住み続けている為に、坂東武者の強さも熟知していたのでございます。

また藤原秀郷も、坂東武者としての気風を備えていたのでございます。

そして平将門とは従兄弟同士である平正盛の応援📣も受けて、平将門の追討に成功したのでございます。

そして藤原秀郷は、4位の官位を頂き京都に基盤を固めたのでございます。

その子孫が、我が家の祖でございます。