令和4年21日の事【2】

今日は千葉県千葉市政令指定都市人口百万人の大都市】は、昼間の気温が三℃でございます

こんな寒い中に、入酸素運動は九州地区出身者の私自身は無理でございます。

しかし筋肉トレーニング&体操は80%は実行したのでございます。

我が愛車の中で、3キログラムのダンベルの上下運動二百回は実行済でございます。

我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経の実行済でございます

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

また法然上人バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興は間違い無しでございます。

我が事業の急上昇気流に乗る事は間違い無しでございます。

源平合戦に源氏方の武将として参加した平山李重と云う人物がいたのでございます。

現在の東京都日野市平山辺りを領地に持つ武蔵國の地主階級でございます。

因みに私自身は、10年前に東京都日野市平山辺りのアパートに住んでいたのでございます。

東京都日野市平山辺りは、本当に住み辛い街でございました。

何の特徴も無く、面白くも無い街でございます。

平山李重は、平治の乱や保元ノ合戦に参加して巧妙手柄を数多立てた歴戦の有志でございます

今回の源平合戦でも、先駆けのでは手柄を立てて源頼朝から数多の領地を頂きたいと考えていたのでございます。

平山李重は、坂東地区の中では少大名に属する位置の武者でございます。

そこで単独行動により、第1の手柄を立てたいと思っていたのでございます。

手柄には大きく分けて、有力武将の首を摂る事が1つでございます。

また敵陣に向かって最初に討ち入って行くなどの方法がございます。

平山李重は、先駆けする事で手柄を立てて領地を頂く事を考えていたのでございます。

しかし先駆けするのは、まだ味方の軍勢が存在していない中で1人敵陣に殴り込みを掛ける事でございます。

そこで先駆けすると第1の手柄としてのポイントは絶大でございます。

一方で敵将の首を摂る事も、大将各の武将と合戦するのは2分の1の確率で自分自身の首🐴を取らる可能性が存在するのでございます。

大将各の敵将は、やはり勇者でございます。

幾ら源氏方の敵将が合戦上手とは云え、平氏の武将もエチケットは守りつつ武士階級でございます。

やはり源氏の武士と同様に強いのでございます。

平山李重は、1人の家臣筋を従えて二人で敵陣に殴り込みをしたのでございます。

すると平山李重が、ふと考えたのでございます。

あの熊谷二郎直実も、固まりでの合戦を嫌うはずだと云って家臣筋を熊谷二郎直実の元に探らせたのでございます。

すると思いは的中したのでございます。

熊谷二郎直実も、先駆けの支度をしていたのでございます。

平山李重は、早速に主従二人で敵陣に殴り込みをしたのでございます。

平氏の武士団は云ったのでございます。

東武者と云うのは、気性が荒いと聴いた。

しかし我が何万の軍勢の陣に二人で殴り込みに来るとは坂東武者は怖い存在だと笑ったのでございます。

しかし平氏の武士団の笑いにはおかしいので笑ったのでは無く勇気を認めた上での笑いでございます。

平氏の武士団は云ったのでございます。

二人だけであり合戦を催す状況では無いので少し可愛がってやれと云ったのでございます。

すると熊谷二郎直実は、既に敵陣に息子と二人で斬り込んでいたのでございます。

そこで平氏方の歴戦の勇士平上総守忠清が、相手になると云って合戦の支度をしていたのでございます。

ところが熊谷二郎直実親子の気合に圧倒されて、引き返して来たのでございます。

あのような無鉄砲な輩と勝負しても仕方無いぞ。

この先に大切な合戦場が控えていると言い訳を云いながら戻って来たのでございます。

この行動に対しては、平氏方からも批判が殺到したのでございます。