平家系統の人々は、諸国の武家集団が求める事柄を見誤ってしまったのでございます。
また源氏系統の人々も、武家貴族階級の家筋でございます。
平清盛までは、諸国の武家が平氏に対して期待している事柄を把握していたのでございます。
ところが平清盛が、生え抜きの公卿集団が就任する大政大臣従一位と云う最高の官職に就任した時から勘違いしてしまったのでございます。
平清盛の子供たちは、公卿化して諸国の武家が求める事柄に目を向け無くなったのでございます。
諸国の武家は、平氏政権に対して本来的には領地保全を期待していたのでございます。
しかし平氏系統の人々は、朝廷からの官職就任競争に明け暮れる日々を費やしていたのでございます。
諸国の武家は、平氏政権が武家の期待に応えない為に自ら武装を強化して合戦合戦合戦に明け暮れていたのでございます。
武家は疲弊して、一家一門衆も戦死者続出によりて田畑は荒れ放題になってしまったのでございます。
まだ西國は、朝廷の意向が存在していたので領地争いに関しても関東地区より酷くはなかったのでございます。
しかしながら関東地区の武士団は、土地に対する執着心が強く荒々しい性格もあり領地争いの合戦合戦合戦が続出していたのでございます。
そこで一方の流人生活者ではございますが、武家貴族の源頼朝を担いだのでございます。
貴族化した平氏系統の人々は、荒々しい坂東地区の武者に押され気味でございました。
そんな平氏の中でも、武家らしい公達が存在したのでございます。
一ノ谷の合戦で、源九朗判官義経の奇襲戦法によりて平氏系統の武者は総崩れに陥ったのでございます。
平氏系統の武者は、海賊集団であり陸戦よりも海での合戦を得意分野にしていたのでございます。
そこで一ノ谷の合戦に際しても海上に舟を浮かべていたのでございます。
平氏系統の武士団は、一斉に海上の舟を目指して櫓を漕いだのでございます。
そんな時に坂東武者であり荒々しい熊谷二郎直実と云う源氏が良い大将各の首を討取りたいものだと云って探していたのでございます。
すると金銀財宝で飾り付けた鎧兜を身に付けた平氏系統の武者が、海上に浮かべた舟を目指して櫓を漕いでいたのでございます。
熊谷二郎直実は、駄目駄目で扇子を大きく揚げて戻れ戻れと誘ったのでございます。
すると金銀財宝で散りばめた鎧兜の武者が、方向転換して熊谷二郎直実の方に戻って来るではありませんか🉑。
しかし熊谷二郎直実は、歴戦の勇士でございます。
直ぐに首を斬ろうとした時に何と若武者だったのでございます
熊谷二郎直実は、この御方を助けたいと云う気持ちになったのでございます。
そこで熊谷二郎直実は云ったのでございます。
貴方様を助けたいので、御名前を教えて下さいと云ったのでございます。
すると若武者は、命乞いをするのでは無く貴様は誰かと問い返したのでございます。
そこで熊谷二郎直実は云うのでございます。
熊谷二郎で判る通り、二郎としか名乗る事が出来無い田舎武者でございますと云ったのです。
すると貴様のような田舎武者には名乗る必要性は無いと云って名乗る事を拒否したのでございます。
しかし自分自身の首を討取れば相当な恩賞を貰う事が出来る旨の発言をしたのでございます。
この若武者は、一度も命乞いを発言する事も無い勇士でございました。