令和3年12月28日の事でございます。

我が出身地九州地区は、古より合戦が強いのでございます。

九州地区は、大陸地区と接していて大陸のならず者国家からの侵入者に絶えず悩んでいたのでございます。

特に薩摩国の隼人族は、古より日本国を守護する役割が存在したのでございます。

また熊本には、阿蘇山と云う燃え盛る火山🌋活動盛んな山が存在するのでございます。

また薩摩国にも、火山🌋活動盛んな山が存在します。

そして大分&長崎なとにも燃え盛る火山🌋活動する山が存在するのでございます。

我が先祖の佐賀には、火山🌋活動盛んな山は存在しないのでございます。

佐賀人は、ハッタリ男児が数多存在するのでございます。

あの佐賀の乱を引き起こした司法卿江藤新平は、西南戦争の総大将西郷先生と違い最終的には政府軍に降伏したのでございます。

一方西郷先生は、人斬り半次郎と云う武士に介錯を依頼して熊本人は良く合戦してくれたと云ったのでございます。

薩摩国には、示現流と云う武術が存在するのでございます。

あの江戸幕府の親衛隊の新選組の組員も、薩摩隼人の武将には遭遇したく無いよと云っていたのでございます。

薩摩隼人の武将と合戦に及ぶと誰しも真っ二つに綺麗に身体が割れているのでございます。

薩摩藩は、あのイギリス艦隊とも合戦しているのでございます

イギリス艦隊は、大砲で応戦します。

一方薩摩藩の武将は、火縄銃&日本刀が主たる武器でございます。

ところが薩摩藩は、イギリス艦隊と互角に合戦したのでございます。

イギリス艦隊の司令官は、薩摩藩とは日本国の一つの藩に過ぎない。

このような藩が、日本国には3百藩も存在するぞと云ったのでございます。

そこでイギリス艦隊の司令官は薩摩藩と和議を結んだのでございます。

我が先祖の惣領家は、武士階級に相応しく無い死に方を実行したのでございます。

其れは妻の鍋島弾正忠家の姫を刺し殺して自らは毒を飲み馬🐎から落馬したのでございます。

しかし死に切れずに、床の上で死んだのでございます。

私自身も、ムカデ殿が怖くて怖くて死にそうでございます。

やはり我が先祖は、藤原南家の出身者でございます。

藤原南家は、元々は公卿集団でございます。

しかし藤原南家の出身者は、貴族階級ではございますが文官では無く武官の貴族階級でございます。

そして藤原秀郷が、謀反人平将門を討ち取った功績により下野守から3位に昇進したのでございます。

3位は、天皇陛下のお側近くで奉職する事が出来る雲上人でございます。

このような貴族階級が先祖なので、余り九州男児には観えないのかもしれません。