我が館が存在する千葉県九十九里海岸通りは、風速計が振り切る位の風が吹き荒れているのでございます。
源平合戦の時にも、源氏の大将各でありながら源義経は家来筋の武士団を出し抜いて大阪湾から讃岐国の屋島に船⛵を出したのでございます。
源義経に従う武士団は、大大名の輩は少なく武蔵国の小さな武士団である武蔵七党と云う人々が数多存在していたのでございます。
その中で田代患者と云う先祖は高貴な血筋の武士と、大阪湾の船⛵を司る奉行も同行したのでございます。
源義経が率いる船⛵は、四船に便乗して讃岐国の屋島を目指したのでございます。
船には、漕ぎてが必要であり弁慶が漕ぎてを騙して招集して来たのでございます。
防風が吹き荒れている中を、大将源義経は漕ぎてに対して船⛵を出せと迫ったのでございます
弁慶が騙して連れて来た漕ぎては、この風では無理でございますと云った。
すると源義経は、大将源義経の命令を聞かない輩は撃ち殺せと弁慶たちに云ったのでございます。
漕ぎてたちは、防風で船⛵が沈没して死ぬのも刀で斬り殺させて死ぬのも同じ事だと云って船⛵を漕ぎ出したのでございます
すると二日間の道程を、何と半日で四国地方に到着したのでございます。