私自身は、大学入試センター試験の成績が日本史は満点でございます。
ところがその他の科目は、50点以下でございます。
そこで我が地元の国立大学佐賀大学受験生として入試を頑張っていたのでございます。
しかし大学入試センター試験の得点が足らずに、佐賀大学入学式🎒を諦めて四流市立大学に入学したのでございます。
公卿でも四流貴族階級の人々は産まれ時から就任出来る官職も限られているのでございます。
四流貴族階級の最高級の就職口は、諸国の国司でございます。
其れも大国では無く、壱岐国や対馬国などの貴族階級から毛嫌いされるような小国などでございます。
私自身も、四流市立大学を卒業して就職口を探しましたが大手企業の季節限定の労働者の就職👄しかございませんでした。
そこで22歳と3ヶ月でタクシードライバーとして就職したのでございます。
あの渡瀬恒彦先生に憧れていたために、タクシードライバーの推理日誌と云うテレビ番組の影響力でございます。
しかし地方都市部出身者でございます、葉隠発祥地佐賀市自身の私自身が首都高速道路を走るわけがございません。
そこで就職先のタクシー会社の寮内から抜け出したのでございます。
其れからは新聞配達員として生活して来たのでございます。
その間には、好きな平家物語&太平記を熟読本を毎日毎日読んでいたのでございます。
源為義の父親は、八幡太郎義家の嫡男源義親と云う人物でございます。
ところが源義親は、美濃国の国司に指名されましたが謀反を起こして朝廷の派遣した軍勢に滅ぼされてしまったのでございます。
八幡太郎義家は、嫡男源義親が亡くなったために孫である源為義を息子にしたのでございます
あの八幡太郎義家は、陸奥守兼鎮守府将軍職を父親の源頼義と同じく拝命して東北地区の有力者安倍一族や清原氏を12年間も費やして討伐した将軍でございます。
この大将軍に養育されて育った源為義は、自分自身の時には日本全国を源氏一族の支配地域にすると云う野望を頂いたのでございます。
その方策として日本全国各地に源為義の息子たちを国司として配置する事でございます。
その為に、源為義は息子を日本国と同じ数生み出そうと考えたのでございます。
源為義は、美人にこだわる事無く丈夫そうな女子を片っ端から側室にしたのでございます。
そして最終的には、日本国と同じ数生み出したのでございます
ところが息子だけでは無く、女子を含めた数が66人でございます。
しかし国司には、女子が就任する事は出来ません。
国司に就任する事が出来る息子は、何と46人でございます。
源為義は、残り22人の息子を生み出したいと考えましたが体力的に無理でございました。
私自身も、体力的には元気でございますが妻が存在しないのでございます。
早く息子を生み出して、我が館を守り抜いて貰いたいと想うのでございます。