私自身の親は、東大卒でございます。
第二次世界大戦の時には、私自身の父親は15歳で海軍省に招聘されました。
私自身の家は農家でございます。
しかし終戦直後には、若者たちが極端に少なく警察官や地方自治体公務員には引く手あまたでございます。
父親は、警察官か灯台の職員の二社選択で迷いました。
しかし海軍省に入っている程、農家の嫡男でありながら海の仕事に憧れていたのでございます。
そこで警察官の採用を辞退して、灯台勤務の道を選択したのでございます。
ところが灯台勤務も長続きする事も無く三ヶ月で退職したのでございます。
そして他人様に対しては東大を辞退したと豪語していたのでございます。
東京大学の東大と海の案内板の灯台勤務をごちゃ混ぜにしたのでございます。
文章で表せば判るのでありますが、口語で東大と灯台では聴いた人は判断が付きません。
だから近所の人は、私自身の父親は東大卒業と想い込んていたのでございます。
しかし終戦後は、家業の農業者として生計を維持していたのでございます。
そして農作業の合間合間には、大阪府や東京府に出稼ぎ手帳を活用して生計を維持していたのでございます。
私自身は、小学4年生から新聞奨学生として働いていたのでございます。
月の収入は10万円程は稼げる男でした。
だからゲームセンターを豪遊して悪い仲間とも付き合いました。
しかし高校生に入学してからは、学問の楽しさに目覚めました。