平安時代は末法思想が流行る

平安時代には、仏法が廃れて兵乱が続々と発生して世の中は乱れに乱れると人々は思い込んでいた。


そんな時に殺傷を生業にしている武士が、日本全国で兵乱を起こした。

その殺傷集団の大将が、源氏と平氏である。

また元々貴族である一部の藤原氏も、貴族の官職の空席が無く武装化して武士団を形成していた。


武士団の組織は、ピラミッド型になっていて頂点各に源氏と平氏がいる。


この源氏と平氏の下に、有力な家臣団がいる。


また家臣団の下にも、家臣団がいた。


現在風に云うとトヨタ自動車🚙の下請け業者がいる。

その下請け業者の下にも、下請け業者がいる。

詰まりは源氏と平氏は、家臣団の生活保護と領地の保証のために合戦に勝つ必要性があった。


そこで全国各地で合戦が勃発した。

宮では地方からの租税は滞りがちとなる。


そこで朝廷に奉職している武官の武士を派遣したいが人数が集まらない。

そこで比叡山延暦寺の僧兵や奈良の興福寺の僧兵を掻き集める

しかし僧兵は、元々武士団とは風俗が違う。

だから武士団と僧兵が合戦に及んでも、合戦スタイルが違うために僧兵は武士団には敵わない


朝廷の権威も、もはや勇猛果敢な武士団には何の効果もなかった。


源氏は、東国地方を中心に東日本一体で合戦を始める。

一方平氏は、西日本一体で合戦を始める。

そして機内では、貴族出身者である藤原家同士で領地拡張の合戦を始める。


此れらには朝廷の権威は何の効力もなかった。

そこで朝廷では仕方なく、全国各地に散らばっていた神社仏閣に対して祈祷を命じた。


しかし合戦は収まる気配も無く貴族たちは、仏法も無くなると考えた。

そして仏法が無くなった後々になって、未来仏である弥勒菩薩が出現するとお経に書いてある通りになると信じた。

弥勒菩薩は、未来仏である。