国家鎮護を祈祷する役割分担を持つ天台宗で、一番の頭天台宗座主が流し者になりました。
その人物は、明雲座主と云う村上源氏系統の生え抜きのお公卿さんの家柄の人でございます。
この天台宗座主が流し者になるきっかけは、天台宗の僧兵3千人が神輿を担いで京都市のど真ん中に神輿を投げ出して来る。
このような事件が起きたからでございます。
原因は、後白河法王様の側近(腰巾着)として御蔵預り役と取次役などの要職に就任している西光と云う坊主刈りの側近の解任請求権の行使でございます
この神様が宿る神輿が、京都市のど真ん中に鎮座されては貴族階級としては困り果てます。
そこで神輿に帰って頂くためには、比叡山延暦寺の訴訟を受け入れる必要性があります。
今回も神輿様に帰還して頂くために、比叡山延暦寺の訴訟を受け入れる事になったのでございます。
しかし切れ者の西光は、比叡山延暦寺の訴訟を受け入れる代わりに比叡山延暦寺の総元締めである天台宗座主を流し者にしたのでございます。
労働組合の言い分は受け入れたものの、労働組合委員長は解任されたと云う事でございます。
ところが天台宗の3千人の僧兵たちは、皆が想い想いに座主奪還のために山を駆け下りて警護の武士を脅して明雲座主奪還に成功したのでございます。
明雲座主は驚きました。
そこで明雲座主は、私自身は罪に服する旨を3千人の僧兵に伝えました。
すると学者クラスの僧兵が進み出て、等々と演説したのでございます。
此れを聴いた明雲座主は云ったのでございます。
判りました。
其れならば、尊いお坊さんが履いている草鞋を履いて私自身も徒歩で登りますと云った。
すると明雲座主を叱り付けるように、天台宗座主を腰に載せて階段を平地を歩むように登り坂を駆け上がったのでございます
明雲座主は、名門校の出身なので草鞋と云う便利グッズを履いた経験値がなかったのでございます。
幼い頃から、全て歩く必要性が無く家来に担がれて移動していたのでございます。