生活

生活は苦しい限りである。あらゆる伝手をかき集めて辛うじて身体を維持しているのが現状である。

その結果として先祖の墓参りは疎か、親類縁者とも疎遠になってしまった。

そこで起死回生の秘策を思い付いた。それが屋号占い🔯による屋号の変更である。

それから手相の改変だ。あの戦国屈指の出世頭の筆頭各である豊臣秀吉でさえも、実力だけでは心配で公家である陰陽師の守に頼み込んで占ってもらった。


その結果は当然の事ではあるが開運の手形が刻まれていた。しかしベターな手相であり、最高の手相ではなかった。


そこで陰陽師の守に依頼金を渡して、どうすれば最高の開運手相を手に入れる事が出来ないか尋ねた。

陰陽師の守は言った。筑前守殿開運手相を手に入れるには刀で手相を毎日手に刻む事が重要であります。と云った。

そこで次の日からは、陰陽師の守の館に通い詰めて手形を刻み続けた。

すると不思議な事に京都奉行職から、何と近江国長浜の城持ち大名に出世してしまった。

秀吉の身分は農民であり、辛うじて親が足軽と云う下級武士であった。

その親も織田家家督争いの戦争に巻き込まれて戦死してしまった。

秀吉の母親は、今で云う売れない芸術家の家に嫁いだ。

しかし農業に精を出す事もなく絵や焼き物の芸術活動に精を出した。

そこで農業は、再婚相手である秀吉の母親の労働で生計を成り立たる始末だった。

ところが秀吉は、大の百姓嫌いだった。そこで母親と弟たちの静止を振り切って家を飛び出してしまった。

しかし若い無職者の秀吉である。寝泊りする場所もなく、矢作川に止めてあった船⛵を一夜の宿にしていた。

この船主が、矢作川で窃盗や強盗などの集団を纏めている川並衆と云う何とも恐い集団であった。

秀吉が寝ていると、誰かが頬を優しく殴り付けた。秀吉は、人が寝ているのに何をするんだと文句を云った。

そして眠い目を見開いて輩を見ると、野盗の集団であった。

しかし秀吉は臆する事もなく、自身の正当性を主張した。


野盗の大将は、秀吉の肝の座った態度に驚嘆した。

そこで秀吉に尋ねた。今一番の希望条件は何であると聞いた。

秀吉は即座に飯を腹いっぱい食いたいと云った。

野盗の大将と子分たちは、皆がどっと笑った。

秀吉も云う。何が可笑しい。我は、一週間も飯を食っていないんだ。

最後の食事は、大根畑から盗み出した大根だけだ。それも畑の主に見付かってしまい思う存分食う事が出来なかったと愚痴った。


野盗の大将と子分たちは、秀吉をおおいに気に入った。

そして館に連れていき、思う存分に飯を与えた。

すると今度は飯を腹いっぱい食い過ぎてしまい寝込んでしまった。

この出来事に対しても野盗の大将と子分たちはおおいに笑っていた。


この野盗の大将が、あの蜂須賀小六と云う後の秀吉の右腕となる人物である。