今年のゴールデンウィークも家で寝る子は育つ

去年のゴールデンウィークには、流行病で何処にも出掛ける事が出来なかった。


去年のゴールデンウィークには、いわき湯本温泉共同浴場に行く予定でした。


ところが共同浴場に行くには、福島県民でなければ風呂家に入る事が出来なかった。


そこでいわき市にあるインターネットカフェに行く予定でした。


インターネットカフェには、シャワーが完備されているために風呂家に入る事が出来ます。


私は風呂好きであり、風呂に入る事が出来なければ生きて行く事が出来ません。


しかしいわき市インターネットカフェに行きシャワー室で風呂に入る事に疑問符が付いた。


そこで近くの海沿いに行き、海水浴場で身体を洗う事にした。


でも5月の海は、まだ寒く感じた。



そして今年は栃木県の道の駅に隣接している温泉に行く事を予定した。


ところが道の道のホームページを目を丸くして観ると、栃木県民以外は御断りしますと書いてあるではありませんか🉑


今年のゴールデンウィークも、ステイホーム🏡をしなければならないかなしれません。


もう近くのスーパー銭湯に行き、何時もの休日と同じような遊び方を予定しています。



もしかしたら来年度も、5月のゴールデンウィークもステイホームになるかもしれません。


また今年の12月にも墓参り時期は、帰省する事も出来ずにステイホーム🏡を強制されるかもしれません。

糖尿病患者の弁当

糖尿病患者の身分では、弁当なんか夢のまた夢でございます。

とにかく糖尿病患者は、お医者様から食事の量を減らすように指導されます。


朝!昼!晩のカロリーが、各方五百カロリーでございます。


おにぎり🍙一個でも二百カロリーございます


詰まりおにぎり🍙二個以上は食べる事が出来ません。


また愛しい日清食品どん兵衛などを食べる事が出来ません。


また唐揚げ定食や生姜焼き定食なども絶対禁句でございます。


そして一日の総カロリー1500カロリーでは夜中に腹が減り死にそうでした。


しかし人間も動物の仲間入りでございます。


動物は、毎回毎回獲物を獲得出来る事は出来ません。


そこで毎回毎回腹を空かしています。


この腹を空かす事に耐える事が出来る身体の状態に耐える力が備わっています。


現在のように毎回毎回御飯を食べられる事の方が異常な状態でございます。


だから私自身は、腹が空かした状態に耐え忍んでいます。


そして体重も正常値をキープしています。



また血糖値も正常値をキープ済みであり、空腹も修行僧の一貫教育と想い耐え忍んでいます。


私の家は、先祖伝来浄土真宗本願寺派でございます。


一度は浄土真宗本願寺派の僧侶に成りたいとも想いました。


しかし浄土真宗本願寺派の僧侶になるには、浄土真宗本願寺派の寺の推薦状が必要だったのでございます。


この浄土真宗本願寺派の寺の推薦状を貰い受ける事が至難の業でございます。


今は浄土真宗本願寺派の僧侶の修行を行っている境地でございます。


南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

赤松円心

鎌倉幕府15代執権職北条相模守高時は、武家の棟梁としての自覚が薄くもっぱら政治は北条家執事職長崎家一門衆に丸投げしていた。


自らは闘犬が大好きであり、京都から貴族を招いて公卿集団風の遊びをエンジョイしていた。


武家同士の領地争いがあっても、執事職長崎家一門衆に丸投げしていたために喧嘩両成敗と云う何とも奇妙な判決文を出して長崎家自らの領地に組み入れていた。


領地争いを鎌倉幕府に訴えた武家は、原告も被告も共に領地を失う破目に陥り北条家に対する恨みは頂点に達する事になった。


この北条家の不条理な判決文は、朝廷や公卿集団に対しても同じであり京都に勢力を張る寺社や公卿集団からも恨みを買う事になった。


そこで時の天子様である後醍醐天皇は、寺社や公卿集団や北条家に対して反感を抱いていた武家を誘い鎌倉幕府打倒の命令書を発行した。


鎌倉幕府の執権職北条高時は、早速に執事職長崎家一門衆に命令した。


命令した内容は、後醍醐天皇は畏れ多いが近臣の公卿集団や寺社勢力の一掃を指示した。


北条家執事職長崎家一門衆は、自ら総大将として京都に攻め登る事もなく何と外様大名の筆頭御家人である足利尊氏鎌倉幕府の総大将に任命してしまった。



北条家一門衆の中でも、武勇に優れた人々は執事職長崎家一門衆の沙汰には多いに不満が残る事になった。


しかし北条家の中でも執権職北条高時が任命した長崎家一門衆の沙汰である。


どんなに北条家一門衆の一部の武将が騒いでも執事職長崎家の沙汰が覆す事はなかった。



足利尊氏は、鎌倉御家人のほとんどの武将を引き連れて京都に出陣した。



足利尊氏が出陣した後で、北条家一門衆と執事職長崎家一門衆が会議を開催した。


その席上である人が一言つぶやいた。



皆々様、此処に鎮座している武将は皆平家一門衆でございます。


一方足利尊氏が引き連れている武将は、ほとんどが源氏でありますぞと云った。


此れを聴いた執権職北条高時は云った。


足利尊氏を総大将に指名した事は、我々北条家一門衆にとり失敗ではなかったかと長崎円喜に尋ねた。



長崎円喜も失敗したと想い、会議室から逃げ出してしまった。


そして足利尊氏は、自分自身の領地であり足利家一門衆吉良家が守護職を拝命している三河国から5万騎の武将を従えて鎌倉を攻め滅ぼしてしまった。


赤松円心は、播磨国守護職大名でありながら足利尊氏の陣に参加していた。


ところが京都の後醍醐天皇は、畿内地域の武家は京都に参加するように命令していた。



しかし赤松円心は、畿内地域の武将でありながら関東地方の武将足利尊氏の陣に参加していた



鎌倉幕府が倒産した後々に、後醍醐天皇赤松円心の働きを認める事もなく播磨国守護職を解任して地頭職に格下げした。


赤松円心は、この沙汰以後朝廷を憎むようになった。



地頭職も一様は、播磨国の地域ではあったが元々の赤松円心の家臣筋の武将が播磨国守護職に指名された。


この出来事以後は、赤松円心は山奥に籠もり一切朝廷の意向を受け入れる事はなかった。



そして後々に足利尊氏が、武家を束ねて朝廷と合戦する事になった時に赤松円心は借金をしてまで1万人の軍勢を掻き集めて足利尊氏の陣に馳せ参じた。


そして足利尊氏の勝利により、赤松円心播磨国に加えて備前国備後国の3ヶ国の守護職に指名された。


また室町幕府管領職の下の機関である四職の1家に加えられた。


管領職も四職も、共に足利家一門衆でなければ基本的には任命される事はない。


赤松円心は、足利尊氏からの信頼性が厚く足利家一門衆として処遇されていた。

お弁当

私自身の学生時代の弁当は、白い麦飯に赤赤とした梅干が埋め込まれた弁当でございます。


他人様の弁当には、卵焼きやハンバーグやウインナーソーセージなど喉から手が出るような種類のおかずが数多乗せてありました。


私自身の家は貧乏生活まっしぐらであり、麦飯に赤赤とした梅干が数多乗せてあるだけでありがとうございますと云う心境でございます。



家🏠に帰れば、さつまいも御飯に白菜漬けや味噌汁などが定番メニューでございます。


そして年にに3回程カレーうどんが定番メニューでございます。


だから今でもカレーうどんが大好物でございます。


また今現在も麦飯を愛用しています。


ところが現在では米飯よりも、麦飯を買う事が値段的に高額になります。


そこで今現在では雑穀米を買い込んで、タイ米や米粒の小サイズが数多入った米飯を食べています。


10キロで2300円程の価格帯でございます



其れに味噌汁に漬け物をおかずにして、日々生活をしています。


やはり和食は日本人に合っているらしく、糖尿病患者である私自身の数値も改善傾向でございます。


お医者様も目を丸くして驚いていました。


和食全般は、雑食でございます。


日本人には、日本人が昔から食べて来た雑食が一番遺伝子的に合っているようでございます。



今後の弁当🍱のおかずには、やはり梅干と味噌汁の2品で乗り切る覚悟でございます。

武官の最高職近衛府の大将

貴族の官職には文官と武官の二種類がありました。


文官は左大臣!右大臣!内大臣!次に大納言がありました。


大納言の定員は、5人であります。



しかし貴族の子弟が増えてくると、官職に有り就く事が出来ない貴族が出てきます。


そこで大納言に加えて権大納言と云う官職を創設したのでございます。


今風に云うと課長補佐と云うポストを増やす事によって、労働者のモチベーションアップに繋げる事が出来ました。


しかし文官の最高職の左大臣や右大臣や内大臣の官職に就任するためには、家柄重視であり生え抜きの貴族の子弟しか就く事が出来ませんでした。


そして武官の最高職の近衛府の左大将や右大将に就任するのは、やはり家柄重視であり生え抜きの貴族の子弟が就任するポストでした。



また同じ貴族が文官と武官の官職を兼ねる事が一般的であります。


だから同じ生え抜きの貴族が、左大臣兼右大将と云うような事が一般的でございます。



この官職に就任する事が出来る家柄の貴族が、摂政関白家のお公卿さんでございます。


一条家!二条家!九条家!近衛家三条家の5摂家だけでございます。


次のクラスの家柄のお公卿さんの徳大寺家などは、文官ならば右大臣や内大臣!武官ならば近衛府の中将などでございます。


我が先祖は、朝廷の出先機関である九州の太宰府の役人でした。



其れも高級官吏ではなかったために、源頼朝が平家打倒に立ち上がった時に太宰府の役人を辞任して源頼朝の陣屋に馳せ参じたのでございます。


この恩賞として肥前国の佐賀荘園の地頭職に指名されたのでございます。

私は青梅市に住む

東京都青梅市に出掛けて来ました。


名古屋市に行く途中で、国道16号線から青梅市方面行きの標識が出ていたので右折しました。



其れから狭い道のりを走り続ける事30分余りで青梅市に入り込む事が出来た。


やはり青梅市は素晴らしいと想いました?


その理由は青梅市からは、山梨県方面からも静岡方面からも九州地方に行く事が容易だと云う事でございます。



青梅市からは奥多摩町を走り抜けて大月に出る事が出来ます。


大月からは国道20号線を走り抜けと甲府市をすり抜けて諏訪湖方面に出ます。



諏訪湖には、下諏訪温泉と云う名湯があります


下諏訪温泉には、共同浴場が7個もあり選択し放題でございます。


私自身は、諏訪湖湖畔にある湖畔の湯に入ります。


湖畔の湯は、朝6時から営業しています利用料金も、私のようなアルバイターの身分には優しい280円均一でございます。



1日2回入り込んでも五百円位で済みます。



そして諏訪湖から国道20号をぶっちぎりと中津川や多治見市を通過して名古屋に到着します



また大月市から御殿場に抜けて、国道246号線を通過して沼津市に出て国道1号線に出る事が出来ます。



そして国道1号線を名古屋市まてひたすら走り続けると名古屋市に到着します。



途中に焼津市浜松市などで、スーパー銭湯に入り放題でございます。



また普通列車でも青梅市に住むと利点が数多存在します。


まず青梅線で立川に出ると中央線快速列車で高尾駅まで行く事が出来ます。


そして中央線の普通列車で、甲府諏訪駅や多治見市を通過して名古屋に出ます。


また東海道線に出てひたすら浜松駅や静岡駅や岡崎駅を通過して名古屋駅まで楽チンで行く事が出来ます。


私自身は青梅市に住むと同時に、九州地方で先祖伝来の農地を有効活用して経営コンサルタント兼農業従事者になる事が目標でございます。



まぁ上杉藩の財政破綻を立て直す事に成功した上杉鷹山公が云いました。



成せばなる成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけれと?


上杉藩は、時の権利者豊臣秀吉の側近であり石高は、なんと百二十万石でございます。



ところが豊臣秀吉の死後、徳川家康に反抗して石田治部大輔三成に加勢してしまいました。



そして上杉家執事職直江兼続が、徳川家康を罵倒する直江状と云う書面を家康に送り付けたのでございます。



この直江状に激怒した徳川家康は、関ヶ原の戦いに敗れた上杉家の領地を百二十万石から何と30万石に格下げしたのでございます。



しかし直江兼続は、戦国時代にあって兜に愛と云う文字を付けて戦場を走り回りました。


そこで愛を付けて戦場を走り回った関係上、家臣筋の領地を減らす事が出来ませんでした。



そして直江兼続が、上杉家執事職でありながら内職をして財政を支えたのでございます。

変な間取り

私は無収入になった時代に、変な間取りに住み着いた記憶があります。


その変な間取りの正体は、私自身が所有していた愛車日産自動車マーチでございます。


金銭的に余裕がないからアパートを借りる事も出来ずに、日産自動車マーチが自分自身の住まいになってしまいました。


部屋代金が浮くとの想いで、愛車日産自動車マーチで生活を開始しました。


ところが食事はコンビニ弁当であり、体臭がするために風呂代金も掛かります、。


幸いな事に静岡県伊東市には公共浴場が存在していたために、二百円代で温泉に入る事が出来ました。


しかし伊東市は何も無く、東京都青梅市に住む事を希望する自分自身としては心が踊らない。



そこで御殿場方面や小田原方面や静岡市方面にドライブに出掛けてしまう。


ドライブすれば、ガソリン代が馬鹿にならない



そして日産自動車マーチニは、冷蔵庫の機能が存在しません。


だからスーパーの格安弁当を数多買い込んでも保存する事が出来ません。


今はキャンピングカーには冷蔵庫も完備しています。


いゃ冷蔵庫だけではありません。冷暖房器具も完備してシャワーまでも付いています。


今ならば、自動車生活も快適かもしれません。



しかし15年前の車中泊は、警察官からの職務質問が当たり前の時代でした。


伊東市の道の駅で寝ていると、毎晩のように職務質問を受けていました。


そこで発明しました。私は現在爆睡状態ですから起こさないで下さいませと張り紙をしていました。


キャンピングカーならば怪しまれないかもしれません。


ところが日産自動車マーチで車中泊しているのでございます。


警察官ではなくても、十分に怪しい輩だと想います。



そんな日産自動車マーチでの車中泊生活に終止符が打たれました。


山梨県アルプス市の豊田ホーム🏡の工場での派遣社員として採用されました。


しかしブラック企業ブラック企業であり、朝8時出勤で夜中2時頃の帰宅でございます。



其れも重い具材の住宅を創る作業でございます



私は1日でギブアップしてしまいました。



そしてまたまた日産自動車マーチの車中泊生活が始まりました。


早く東京都青梅市に分譲住宅を取得して、運転免許証欄に東京都青梅市を刻み込みたい今日この頃でございます。