令和3年12月25日の事

台湾バナナ🍌は辞めたのでございます。

私自身は糖尿病疾患者でございます。

2・今日の入酸素運動は80%は実行でございます。

入酸素運動の種類としては、降り登り昇降運動でございます。

時間は30分間でございます。

3・筋肉トレーニング&体操は70%は実行でございます。

ダンベル5キログラムを百回上下運動を繰り返しする事でございます。

4・我が先祖の供養の読経の実行でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

耳無し芳一と云う僧侶が、ある女に夜な夜な連れて行かれるのでございます。

同僚の僧侶が、不審に思い後ろから着いて行くと何と墓場で子供連れの幽霊と一緒に居るではございませんか。

同僚の僧侶は、幽霊に取り殺されると云う事で僧侶の身体に南無阿弥陀仏を書き込んだのでございます。

ところが僧侶の耳に書く事を忘れてしまったのでございます。

その後僧侶は、耳無し芳一と云う名前で、平家物語を語り合い諸国を旅したのでございます。

我が事業は急上昇気流に乗る事は間違い無しでございます。 

山陰地区の8カ国の守護職大名を歴任した尼子家と云う有力守護職が存在したのでございます 

尼子家と大内家は、広島安芸の国を挟んで合戦ばかりしていたのでございます。

広島安芸の国の守護職大名は、武田家と云う武将でございます

しかし守護職武田家は、力強さに欠け大内家と尼子家の合戦に駆り出されていたのでございます。

そして安芸の国の地頭職も、大内家と尼子家の合戦に動員されていたのでございます。

しかし毛利元就と云う武将が出没して以来、尼子家と大内家を倒産させてしまったのでございます。

そして大内家と尼子家は、守護職を追われて各地に散り散りになってしまったのでございます

その中で尼子家家臣筋山中鹿之助と云う忠義な武将が存在したのでございます。

山中鹿之助は、主家尼子家再興を目指して毛利元就の暗殺に心を砕いたのでございます。

山中鹿之助は、三日月に向かって云ったのでございます。

願わくば我に7難8苦を与え給えと云うのでございます。

山中鹿之助は、勢いがある織田上総介信長を頼り毛利元就の暗殺計画を立てたのでございます

織田上総介信長も、山中鹿之助の心ざしを汲んて豊臣秀吉の陣に組み入れる事にしたのでございます。

しかし山中鹿之助は、主家尼子家再興の夢を果たす事が出来ず死んてしまったのでございます

山中鹿之助の子孫は、武家の虚しさを悟り運送会社を設立したのでございます。

現在の鴻池運輸山中鹿之助が先祖でございます。


我が先祖は、山中鹿之助よりも位的には上でございます。

我が先祖は、地頭職です。

一方山中鹿之助は、守護職大名の家臣筋でございます。

しかし今は、山中鹿之助の子孫が上でございます。

鴻池運輸は、運送業者としては上場企業でございます。

一方私自身は、個人事業主でございます。