令和4年1月2日の事

朝台湾バナナ🍌0%でございます。

筋肉トレーニング&体操は0%でございます。

朝入酸素運動は0%でございます。

朝我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

我が事業は間違い無く急上昇気流カーブを描き出します。

伊勢新九郎盛時は、桓武平氏の系統の武将でございます。

あの平清盛の系統は、盛の字を家の証として使用するのでございます。

平清盛の系統は、元々は関東地区に地盤を維持していたのでございます。

しかし源氏系統が、関東地区に進出した結果平清盛の系統は伊勢国伊賀国国司に任命されたのでございます。

伊勢の平氏は細目だよとか、伊勢の徳利は粗悪品であり酢を入れる瓶しかならないよと云われたのでございます。

平清盛の父親の平忠盛も祖父も細目でございました。

伊勢新九郎盛国の先祖も、平清盛の系統の一族でございます。

しかし伊勢新九郎盛時の先祖も
血筋が良く一家一門衆の惣領家に指名されても良い家柄でございます。

しかし平清盛の系統が、平氏系統の惣領家に選出されたのでございます。

この人事評価に異議申立をしたのが、伊勢新九郎盛時の先祖でございます。

そこで平氏系統の惣領家の選出に敗北した伊勢新九郎盛時の先祖は、何と武家の双璧源氏系統の家来筋に鞍替えしたのでございます。

其れ以降は、源氏系統の足利家の家来筋として生活したのでございます。

そして足利家執事職を歴任したのでございます。

また高家と云う武家も、足利家執事職を拝命していたのでございます。

後には、足利尊氏室町幕府を創設すると伊勢家は申次衆として各地の守護職大名と将軍職の取次をする職を歴任したのでございます。

一方高家は、武蔵守護職を歴任して武闘派武将の棟梁各として武闘派守護職を纏め上げたのでございます。

あの足利尊氏の弟足利直義と対立した高師直は、武蔵守護職として武闘派守護職を纏め上げて対立したのでございます。

一方足利直義の陣に参集した武将は、吉良家&今川家&一色家&細川家&斯波家などの足利一門衆で占めていたのでございます。

足利一門衆は、軍事貴族であり公家集団の性質を備えていたのでございます。

其れに比べて高師直方の陣に参集したのは、合戦好きの武闘派守護職大名で構成されていました。

高師直の軍勢は、足利直義の軍勢を打ち破ったのでございます