令和五年七月七日のお勤めでございます。南無阿弥陀。

我が宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます南無阿弥陀

 

南無阿弥陀・南無阿弥陀。現世利益和讃法然先生ありがとうございます。南無阿弥陀

 

南無阿弥陀・南無阿弥陀。現世利益和讃親鸞先生ありがとうございます。南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

立花宗茂と云う鎮西一の弓取りと天下人豊臣秀吉に称賛された武将がいたのでございます。南無阿弥陀

 

この立花宗茂とは真に称賛するに値する武将でございます。南無阿弥陀

 

合戦場にて全勝している武家でございます南無阿弥陀

 

あの毘沙門天の化身と崇め称賛された上杉弾正謙信でも負け合戦が数多存在するのでございます南無阿弥陀

 

ところが立花宗茂と云う武士団は、全戦全勝でございます南無阿弥陀

 

あの九州地区の勇猛な武士団である島津氏との合戦場にも打ち勝つのでございます南無阿弥陀

 

また豊臣秀吉の命令により外国人との合戦場に於いても、加藤清正を助け出すと云う手柄を打ち立てているのでございます。南無阿弥陀

 

また関ヶ原合戦場では本戦では無く、滋賀県の大津城を攻め立てているのでございます。南無阿弥陀

 

しかしながら関ヶ原合戦場の本戦では、石田治部三成の軍勢が総崩れの憂き目に遭遇するのでございます南無阿弥陀

 

また毛利氏に養子縁組した小早川秀秋の裏切りにより西軍勢は総崩れの憂き目を観るのでございます南無阿弥陀

 

そして関ヶ原合戦場には参加する事が出来なかった立花宗茂は、何と柳川藩二二万石の大名クラスから浪人階級に格下げの憂き目に遭遇するのでございます。南無阿弥陀

 

しかしながら家臣筋五千人全ては、熊本藩五五万石の国主加藤肥後守に雇用されるのでございます南無阿弥陀

 

そして立花宗茂は二二年間の浪人生活スタイルを経て旧領地柳川藩の大名クラスに復縁するのでございます南無阿弥陀

 

従いまして家臣筋は皆々様が加藤肥後守清正の家臣筋を棄て去り立花宗茂の陣に参陣しているのでございます南無阿弥陀

 

しかしながら加藤肥後守清正は、立花宗茂の陣に参陣してしまった立花宗茂の家臣筋を返還請求する事もなかったのでございます南無阿弥陀

 

この立花宗茂の父親高橋紹運と云う武将も、弱り目の主君筋大友氏を最後迄見棄てる事もなかったのでございます。南無阿弥陀

 

反対に主君筋が弱り目だから、自らの力が必須アイテムであり絶対空間なので在ると云うのでございます南無阿弥陀

 

私自身も妻に成る人物から夜逃げされたのでございます南無阿弥陀

 

今風🍃に云うと打ち破って捨てられたのでございます南無阿弥陀

 

好きです。南無阿弥陀

 

愛してます!南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀